A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

アートペッパーの復帰は、ペッパーを支えた夫人と昔の仲間に囲まれて・・・

2015-04-20 | MY FAVORITE ALBUM
Living Legends / Art Pepper

人生何をやっていても挫折を味わう事がある。捲土重来を期して再チャレンジを目指すものの、それを実現するには並々ならない努力と、それを支える人がいないと難しいものだ。
アートペッパーが麻薬の治療のために入院しなければならなかったのは一度ならず何度も繰り返された。その度ごとに復活を願うファンの前から消え去ることになった。

68年にバディーリッチのオーケストラに復帰できたのは、バンドのメンバーであったドンメンザの誘いであったそうだ。しかし、その時ペッパーはテナーしか持っていなかった。リッチのバンドではリードアルトを務めたが、アルトはドンメンザからの借り物。マウスピースだけは愛用物を持っていたので何とか急場を凌げたという。
最初の仕事は、ラスベガスのシザースパレス。一緒に加わったトランペットのアルポシーノと2人のお蔭でバンドの音は見る見るうちに変っていった。そこで、すでにスタジオで録音済みのマーシーマーシーマーシーのアルバムは、急遽このシザースパレスでのライブ録音で作り直しとなった。

ペッパーにとって毎日プレーできる楽しさを味わえたのは余程嬉しかったかのかもしれない。久々に譜面を前にした時は、一瞬譜面が読めなかったという。しかし、すぐに感を取り戻すと久々に存分に吹きまくったという。
しかし、ハードワークは弱った体を徹底的に痛めつけてしまった。肝臓を悪化させ体内で出血をおこし、最後は脾臓破裂で大手術を受けることになる。せっかく掴んだ仕事の場であるリッチのバンドも離れざるを得なかった。再び復帰を試みたがツアーの多いリッチのバンドの激務には耐えられず再び療養生活に入ってしまう。

今度は肉体的にだけでなく、社会復帰することによって生じる色々なストレスにも耐えられずに、長期の療養所(シナノン)生活になった。反対にそこでの生活にすっかり慣れてしまって、一時は音楽を諦めようと思った時期もあった。
しかし、再び音楽をやる夢は捨てきれず「シナノン」を出ることに。とはいってもすぐに仕事も無く、復帰の決心もつかなかったので、パン屋の会計事務の仕事を手伝いながら本気で会計士の勉強も始めたという。そのようなアダムスを支えたのは同じ療養所に居た、後にペッパーと結婚することになるローリーであった。音楽への復帰を決意したのは、デンバーの大学からクラリネットのクリニックの依頼を受けた時、自分のファンであったKen Yoheが楽器を借りて、色々段取りをしてくれたからだ。ロスに帰って来て自分の楽器を揃える決心がついたそうだ。このファンのお蔭で復帰への足掛かりは掴めた。彼に感謝の意味を含めて、このアルバムでMr.Yoheという曲も作った。

徐々に地元のクラブ出演も始め、学校を廻って学生バンドのクリニックも積極的に行うようになった。前回紹介したマイクバックスとの出会いはその時だった。そのような状況のペッパーを支え、本格的な復帰にまで繋げたのは妻のローリーに加え、コンテンポラリーレコードのオーナー、レスター・ケーニッヒであった。そして、1975年8月、待ちに待った久々のリーダーアルバムの録音になる。



プロデューサーはレーニッヒ自身、場所は懐かしいコンテンポラリーのスタジオ。10年以上経ってもスタジオの風景、録音機器は昔のままだったという。
そして、メンバーも昔の仲間が集まった。ピアノのハンプトンホースは一足先に第一線への復帰を遂げていた。ドラムもウェストコーストの大御所であるシェリーマン。そしてベースは昔からのペッパーの友人であった。ヘイドンというとどうしてもオーネットコールマンとの一緒のイメージが強いが、50年代はペッパーやホースのプレー仲間であった。

昔の仲間達と、そして昔と同じスタジオで再起第一作を録音した訳だがナツメロセッションにはならなかった。というのもブランクの期間にペッパーは変身していた。ペッパーが一線を退いていた時代ジャズ界はコルトレーンの世界となっていた。ペッパーはコルトレーンを徹底的に聴き、コルトレーンの演奏をコピーもした。長いミュージシャン生活でコピーをしてまで研究したのはコルトレーンだけであったそうだ。
しして、演奏した曲はスタンダード曲のHere's That Rainy Dayを除いてすべてペッパーのオリジナル。意気込みを感じる。

そして演奏の結果はというと?
ペッパーのアルトはコルトレーンの味付けがされたとはいえ基本的に変るものではない。曲によって多少荒々しくフリーキーなフレーズも聴けるがペッパー節は健在であった。他のメンバーも、皆がモダンなアプローチもできるとはいえ、彼等も本質は変わらない。昔のペッパーを知る面々だが、完全にナツメロをやるのではなく、今のペッパーを引き出すための最善のバックを務めている。自分としても、久々にペッパーを聴けたというだけでなく、「今の時代に戻ってきてくれたペッパー」の復帰を嬉しく思ったものだ。
まさに伝説のアルトが生きていた証明であり復帰であった。
その苦難の復帰を支えたのは、やはり昔からの仲間達と家族、そして名プロデューサーのレスター・ケーニッヒであった。



1. Ophelia                      Art Pepper 7:53
2. Here's That Rainy Day    Johnny Burke / James Van Heusen 5:39
3. What Laurie Likes                Art Pepper 6:43
4. Mr. Yohe                    Art Pepper 7:10
5. Lost Life                    Art Pepper 5:52
6. Samba Mom Mom                  Art Pepper 8:19

Art Pepper (as)
Hampton Hawes (p)
Charlie Haden (b)
Shelly Manne (ds)

Produced by Lester Koenig
Sound by Roy DuNann
Recorded at Contemporary Studio's Studio in Los Angels on August 9,1975


リヴィング・レジェンド+1
クリエーター情報なし
ユニバーサル ミュージック クラシック

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