◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎判定は「才能あり」?「才能なし」?

2024年05月08日 | 末松建比古


「プレバト」というテレビ番組がある。司会=浜田雅功。毎週木曜日19時、TBS系列局で放送している。
才能あり?、凡人?、才能なし?・・・。芸能人が「才能査定ランキング」に挑む番組である。査定の対象は、俳句、水彩画、色鉛筆画など様々な分野にわたっていて、新しく「スクラッチアート」が加わった。全面が黒色コーティングされたA4版の用紙を「竹製スティック」で削ると、下地の色彩が表われる。何色が表われるのか削ってみるまで判らない。一期一会の境地である。
画像参照=スクラッチアートの実例。「二・二六事件慰霊像」と「平和観音」。番組に触発されて、私が描いたものである。

「二・二六事件慰霊像」も「平和観音」も、私にはごく身近な題材であるが、後者(平和観音)については 多少の説明が必要かも知れない。
ということで《現代史懇話会「史・№81」1993》から「回想の末松太平」の一部分をご紹介しておく。筆者は池田俊彦少尉(無期禁錮)である。
「・・・私はいま、末松さんからいただいた沢山の絵を前にして想い出に耽っている。得意の向日葵、こけし人形、埴輪の馬、観音と不動明王の絵、砂時計、反核の絵が並んでいる。向日葵の絵には『ゴッホのひまわり三億円 俺のひまわりタダ 親父が生前よく言っていた タダより高いものはない』。また 面白いのは自画像で、顔を隠して反戦反核の札が掛っている。そして『鈴鳴らし 鈴ならし 反戦反核ひとり旅』と書いてある。末松さんは現在の昭和維新は、公害との戦いだと言っておられた。
「末松さんが話し出すと、二、三時間は瞬く間に過ぎてしまう。しかし、あの声はもう聞かれない。私の部屋には、末松さんの画かれた平和観音の像が額に入れて掲げてある。観音様は末松さんのような顔をしている。・・・」

スクラッチアート「平和観音」は 末松太平が描いた「平和観音」を模写したものである。
我家の居間にも(末松太平の画いた)平和観音の像が額に入れて掲げてある。



末松太平は絵を描くことが好きだった。少年時代の私が「千葉公園に行って絵を描こう」と長距離散歩に誘われた日のことは、今なお懐かしい想い出である。ひたすら歩くだけで 飲食休憩などは全く念頭にない「貧乏親父」でもあった。
晩年になっても 絵を描くことは続けていた。池田俊彦氏が記しているように「友人知人に絵を贈る」ことが 楽しみのひとつになっていた。
画像参照。長期入院しているMH氏の病室に「末松太平の絵」が飾られている。MH氏は 青森県黒石小学校の元校長で 竹内俊吉氏(東奥日報記者/青森県知事)~神◎◎氏(青森県教育委員会)~MH氏(校長)という人脈を通じて 末松太平の《信奉者》になった。

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