◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎番外編/真実を語り継ぐ役割・余談◎

2022年07月11日 | 末松建比古


画像①=「2.26事件一般社団法人仏心会」ホームページ。
※2022年4月22日。久しぶりの更新は「コロナの中の法要」という記事。
「コロナのなか、2月26日及び7月12日に限られた仏心会社員で法要を行なっています。写真撮影は4月21日です」
不思議な印象を抱いたのは《仏心会社員》という表現。一般社団法人という組織になった以上は 違和感を抱く方がオカシイのだろう。
仏心会会員の《資格要件》は定款を見れば明らかだが 確認する気はない。

※今年の5月3日 慰霊像前に集合したのは 今泉サン+朋美サン+都子サン+私の4人だったが 今回は立場が別々。
7月12日の法要に参加できる《仏心会社員》は今泉サンひとりだけ。但し(裏方として)朋美サンは労力奉仕するのかも知れない。



画像②=森田朋美サンからの葉書。
※「こんにちは! なつかしい写真が出てきました! 前歯はいった?」
「なつかしい写真」は 2003年7月12日の撮影。賢崇寺の法要を終えて 近くの酒場にて。
「前歯」とは・・・。慰霊像前に集合した日。私は前歯1本消失していた。数日前に根元から折れての治療中。コロナ禍対応マスクで隠蔽したが 飲食の場では瞬時に秘密が漏洩した。歯科通院は現在進行中で 仮歯の食生活にも慣れてきている。
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◎7月10日。参議院選挙の投票日。朝日新聞朝刊一面に「保阪正康さんに聞く」が掲載されていた。
※「保阪さんは『かって政治家への暴力が歴史を変えてしまった』という。念頭にあるのは、政治家が狙われるテロが相次いだ昭和初期。1932(昭和7)年には、政党政治に不満を持つ海軍青年将校によって犬養毅首相が射殺される5・15事件が起きた。/(中略)公判では被告の減刑を求める嘆願書が多く寄せられた。その後、1936(昭和11)年の2・26事件を経て、政治家も言論機関も軍部に反対意見 言うことができなくなっていく。」
※それにしても 投票日当日の朝に 一面見出「言論への暴力連鎖の歴史」二面見出「暴力認める危うさ どの時代も」という記事を掲載するとは《いかにも朝日新聞らしい》仕打ちである。
銃撃犯の凶行理由が「政治的テロ」なのか「単なる私怨」なのか 未だ判明しない時点で 賢しらに「二・二六事件」と結びつけて論評する。有権者をミスリードする狙い・・・とまでは言わないが 不愉快であることに違いはない。
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※7月10日。私は独りで投票所に出掛けた。前日から喉の痛みを訴えていた妻は 体温が39度に急上昇。新型コロナ感染の不安もあって 人生初の「棄権」を選択した。
昔話になるが 20歳当時の私も 最初の選挙権を行使しなかった。投票日には武蔵野警察署に留置されていて「選挙権行使を放棄する」という確認書に署名拇印していた。逮捕理由は「公職選挙法文書違反」で 素直に自白すれば数日で釈放されたと思う。しかし諸事情あって黙 秘権を行使。8泊9日の長逗留になった。

※投票所の帰りに サンシティ管理事務所に立ち寄った。3月7日(C棟)と3月25日(B棟)に発生した漏水事故の「その後の対応」について訊ねたのだが 責任ある回答は全く得られなかった。
不愉快が続く日々。新しく「コロナ感染の疑い」も加わった。緩やかな終曲が 微かに聞こえてくる。(末松)
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◎逆風覚悟の朝/真実を語り継ぐ役割・余談◎

2022年07月09日 | 末松建比古


◎画像=2013年6月21日撮影。東武東上線ときわ台駅前。都議選の応援演説中の安倍晋三氏。SPが背後を警戒している。
※その日 私は 地元の区議(山田貴之)の依頼で 都議候補(河野ゆうき)の街頭演説会場に動員されていた。
山田貴之=司会進行役。そこへ(下村博文に案内されで)安倍晋三登場・・・というだけの話。わざわざ安倍晋三を撮りにでかけた訳ではない。
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◎2022年7月9日(土)。参院選挙前日の朝。安倍晋三氏死去の翌朝。
※ある種の予測を抱きながら「朝日新聞」朝刊を開く。17面=オピニオン&フォーラム。今日のタイトル=政治とテロリズム。政治学者・御厨貴氏へのインタビュー記事である。
※御厨氏の言いそうなことは 日頃の言動からも予測できるし 多分「二・二六事件」も槍玉に挙げるのだろうとは覚悟していた。
しかし しかし・・・。以下の部分は(事件を知らない現代の読者を)誤った知識に導くための《悪意の発露》としか思えなかった。
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※「現職の犬養毅首相が首相官邸で海軍青年将校の一団に射殺されるという『五・一五事件』が1932年に起き、日本の政党政治は崩壊してしまいました。さらに翌年の『二・二六事件』は、日本が戦争に向かうきっかけになったクーデターですが、衆院選挙の結果を受けて、陸軍の一部青年将校が首相官邸などを襲い、閣僚などを殺害し、国会などを占拠したのだということを決して忘れてはなりません」

※《衆議院選挙の結果を受けて 青年将校が蹶起した》
《青年将校が国会を占拠した》
御厨貴。1951年生れ。事件関係者の親族でもなさそうである。となれば 生まれる前の「事件」についての論評は 誰かの書籍・誰かの発言からの「ウケウリ」に過ぎないのだろう。
知ったかぶりも藝の内・・・と言われてしまえばオシマイだが 上に挙げた2点の「モトネタ」を御教示いただきたいものである。(末松)
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◎82歳の憂鬱/真実を語り継ぐ役割・余談◎

2022年07月07日 | 末松建比古

◎7月12日が近づいた。
 賢崇寺の法要は 今回もコロナ禍への対応として「非公開」で行なわれるのだろう。
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◎新聞広告に「二・二六事件」の文字をみつけて 近くの書店でチェックしてきた。

★中路啓太著「昭和天皇の声」文春文庫・2022年7月6日刊。5篇からなる短編集である。
ネットで確認すると 文庫版の基になる書籍版(2019年刊)のカバーには「自ら政治的決定を下したのは三度/天皇とはこの国にとっていかなる存在か/令和時代だからこそ書けた昭和史小説/気鋭の筆者が時代のアイロニーを衝く」と記されていたようだ。
短編5篇のタイトル=①感激居士+②総理の弔い+③澄みきった瞳+④転向者の二十年+⑤地下鉄の切符。
それぞれが(月刊雑誌に)単発で掲載されたものだから《統一テーマ》のようなものはない。ある書評には「歴史大衆小説」と紹介されていたが それ以上のことを期待しても無理なのだろう。
短編5篇。私の関心は「①感激居士」だけにあった。感激居士=相沢三郎中佐。1968年生れの著者(中路啓太氏)が「二・二六事件に詳しい」とは到底思えないから 誰かの著作を参考にしている筈である。先ずは巻末の注記をチェック。そして安心。適切な二冊が挙げられていた。

★菅原裕著「相沢中佐事件の真相」経済往来社・1971(昭和46)年刊。
鬼頭春樹著「実録相沢事件」河出書房新社・2013(平成25)年刊。
菅原氏の著作は「末松太平」宛に 鬼頭氏の著作は「末松建比古」宛に恵贈されていて 私の書架に並んでいる。
菅原裕氏(1894~1979)は 相沢事件裁判の弁護人を務めた方である。菅原氏の葬儀には末松太平も参列して 御長男とも言葉を交わしたことが 当時の日記に記されている。

★鬼頭春樹著「実録相沢事件」の一部を引用する。1935年7月19日の相沢中佐の行動に関する部分である。
「(相沢中佐の行動を)中野雅夫『天皇と二・二六事件』、河野恒吉『国史の最黒点』がそう記す。だが末松太平『私の昭和史』、大蔵栄一『二・二六事件への挽歌』には、7月19日夜は相沢が西田宅に現れ、そのまま宿泊したと記されている。したがってアリバイが成立する。 
ここでは湯河原に赴いたという説はとらない。なぜそのような説が流れるのかは、後に見る」
※晩年の末松太平は 中野雅夫氏と親交があった。それでも相反することを書き残していた。では 中路啓太氏の「歴史大衆小説」では「7月19日」をどのように記したのか。各人で確認していただきたい。

★小説「感激居士」には 相沢米子様(よね子様)が何度も登場している。相沢未亡人と末松太平とは(一日違いで逝去し)同じ日に葬儀が重なるという 不思議な御縁で結ばれていた。喪主は長男・相沢正彦と長男・末松建比古。事件関係者の皆様は(東京都中野区会場と千葉県千葉市会場の同時進行で)スケジュール調整に苦労されたと思う。

★鬼頭春樹著「実録相沢事件」で気になるところを挙げれば あとがきに「相沢三郎のお孫さんにあたる志村孚城氏からは貴重かつ有益な情報をいただいた」と記されていたことである。
この「有益な情報」の中には気になる部分もある。例えば「孫の志村孚城は《書を見せてほしい》との申し出でに《尊王絶対は好きでありませんね》と笑って答えた。《モダンボーイ》には似つかわしくないと・・・」というあたり。
この本が出版された時点において《著者&周辺の方々》は 相沢中佐の遺志の継承者(長男・相沢正彦氏)の存在に気付いていなかった気配である。相沢中佐の遺品や資料を保管していたのは相沢正彦氏である。志村孚城氏は(相沢家に保管された資料に)手を触れることもなかった筈である。
相沢三郎氏のお孫さん=相沢正彦氏の御長男。直系が遺志を継続する在り方は 相沢中佐の(正彦氏宛の)遺文からも覗うことができる。
ということで 相沢正彦氏(故人)の奥様宛にも「実録相沢事件」を届けて欲しいと連絡。鬼頭氏に素早く対応していただいた。



◎今回のタイトル=82歳の憂鬱。
※2022年3月7日(月)早朝。私が居住する「大規模マンションのC棟13階△△号室」の洗面室天井から 夥しい漏水が発生。直ちに管理事務所に連絡して それなりの応急対応を受けた。
※2022年3月25日(金)昼前。私が所有する「B棟3階△△号室の」で同様の漏水を発見。再び管理事務所に連絡して・・・という連続トラブルに見舞われた。
B棟は(当時)愚息の仮住居になっていて 愚息の出勤後に偶々留守宅を訪れた母親(私の妻)が漏水に気付いたという次第である。私が居住する大規模マンションの管理組合は「保険」に加入していて 漏水被害は管理事務所の指定業者が修復してくれることになっている。加害者と被害者が直接バトルする必要はない・・・筈である。
※そして・・・約4ヶ月が経過。愚息は4月の末に(さいたま新都心駅近くの大規模マンションに)転居したが 漏水被害は(C棟もB棟も)修復されないままの状態である。ああ ストレスストレス。
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◎2022年7月8日(金)。
※安倍晋三・前首相が銃撃されて死去した。参院選挙応援の街頭演説中の出来事である。
いろいろな《思い》はあるが 今は未だ ここには書かない。(末松)
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