◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎例えば「二・二六事件慰霊像の継承問題」とか◎

2022年04月29日 | 末松建比古
承前。
坪内隆彦氏からのコメント投稿には メールアドレスと共に「URL」も記されていた。
細かい文字を転記するするのは面倒なので 興味ある方は「坪内隆彦」で検索していただきたい。

坪内隆彦氏。1965年1月生れ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。「維新と興亜」編集長。元日本経済新聞記者。
そして・・・「一般社団法人 昭和維新顕彰財団」代表理事。
昭和維新ときくと即座に「二・二六事件」を思い浮かべる私も「顕彰財団」の存在は知らなかった。期待値マックス。直ちに「顕彰財団」のHPに到達したのだが 残念ながら「二・二六事件」には関心のない組織のようだった。
「昭和維新顕彰財団」役員一覧に圧倒される。会長+副会長+特別顧問+顧問(16名)+相談役(20名)+代表理事=坪内氏+理事(7名)+評議員(10名)+監事。60人近い名前が並んでいる。財団の所在地は岐阜市真砂町である。



「昭和維新顕彰財団」のHPには 令和4年に設立する《「青年日本の歌」史料館》についても記されている。
画像は 三上卓氏逝去の数年後に(末松太平宛に)送付された「複製画」だが 史料館を訪れれば三上氏直筆の原画に対面できるということだろう。

「青年日本の歌」は 麻布賢崇寺の「二・二六事件法要」でも歌われたことがあって その場に私もいたことがある。
1968年2月26日の「法要」には 三上卓氏も参列している。末松太平の「日記」には こう記されている。
「法要の式次第では『青年日本の歌』を歌うことになっていた。しかし 三上卓は自作を歌われることを好まなかった。仏心会のことは 仏心会のペースに任せろと説得した。三上の考えは 歌うより行え ということである。三上は その後で ふところから俳句19首を出し 公表は好まぬ あとで仏心会にやってくれ という」

1972年2月15日。
雑誌「新勢力・三上卓追悼号」発行。末松太平は「水よりも淡く」というタイトルで寄稿している。
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今泉章利サンからお誘いの電話があった。
「5月の連休中に『二・二六事件慰霊像』前でお目にかかれませんか?」
ということで 久しぶりに3人(森田朋美サンも参加するという)で顔を合わせることになった。
慰霊像周辺を清掃して 慰霊像に参拝して 渋谷周辺の酒場に場所を移して・・・。
果たしてどういう会話に発展するかは不明だが 例えば「・・・」とか・・・?        (末松)
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コメント

◎坪内隆彦氏の質問(コメント)に答えて・・・◎

2022年04月06日 | 末松建比古
◎坪内隆彦氏から 下記のコメントが届いていた。
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※「政経新論」昭和37年5月号に、御尊父が古賀不二人(清志)、三上卓、佐郷屋義昭(留雄)、片岡駿とともに行った座談会記事が掲載されていることがわかりました。ところが「政経新論」は国会図書館にも所蔵がありません。「政経新論」はご所蔵されていませんでしょうか。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※コメント欄に掲載せず 手間暇かけてこちらに転載した理由は「坪内氏のメールアドレスが記されていた」ためである。
坪内氏は「公表覚悟」で記したのかも知れないが わざわざ確認するのも面倒なので 回答もメールで済ませてしまった。



※現在 私の手元に「政経新論」昭和37年5月号は保管されていない。
昔々(?)末松太平の旧居を売却処分した際に 書籍&資料類の「全て」を我家で保管するのは(スペース的に)不可能なので もうひとつの保管場所として妹(末松太平・長女)が持ち前の「男気?」を発揮して 自分の居住マンション棟(千葉市)に「3LDK」を買い足した。現在も大量の書籍&資料類が「そこ」に眠っているのだが そこに「政経新論の該当号」が残されているという記憶はない。
※添付した写真は私の手元にあるもので 末松太平が佐郷屋氏&三上氏と一緒に映っているが 撮影日は判らない。

※1971年(昭和46)10月25日。三上卓氏逝去(行年67)。
※1972年(昭和47)04月14日。佐郷屋留雄氏逝去(行年65)。
※1993年(平成04)01月17日。末松太平逝去(行年87)。

※三上卓氏から末松太平宛に届いた「最後の」年賀状が 私の手元にある。
「元気か。もう少し頑張ってみるよ」と 書き添えられている。
因みに 末松太平の旧居売却処分の寸前まで 床の間に飾られていた掛軸は「三上卓氏の書」であった。(末松)
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