承前。
坪内隆彦氏からのコメント投稿には メールアドレスと共に「URL」も記されていた。
細かい文字を転記するするのは面倒なので 興味ある方は「坪内隆彦」で検索していただきたい。
坪内隆彦氏。1965年1月生れ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。「維新と興亜」編集長。元日本経済新聞記者。
そして・・・「一般社団法人 昭和維新顕彰財団」代表理事。
昭和維新ときくと即座に「二・二六事件」を思い浮かべる私も「顕彰財団」の存在は知らなかった。期待値マックス。直ちに「顕彰財団」のHPに到達したのだが 残念ながら「二・二六事件」には関心のない組織のようだった。
「昭和維新顕彰財団」役員一覧に圧倒される。会長+副会長+特別顧問+顧問(16名)+相談役(20名)+代表理事=坪内氏+理事(7名)+評議員(10名)+監事。60人近い名前が並んでいる。財団の所在地は岐阜市真砂町である。
「昭和維新顕彰財団」のHPには 令和4年に設立する《「青年日本の歌」史料館》についても記されている。
画像は 三上卓氏逝去の数年後に(末松太平宛に)送付された「複製画」だが 史料館を訪れれば三上氏直筆の原画に対面できるということだろう。
「青年日本の歌」は 麻布賢崇寺の「二・二六事件法要」でも歌われたことがあって その場に私もいたことがある。
1968年2月26日の「法要」には 三上卓氏も参列している。末松太平の「日記」には こう記されている。
「法要の式次第では『青年日本の歌』を歌うことになっていた。しかし 三上卓は自作を歌われることを好まなかった。仏心会のことは 仏心会のペースに任せろと説得した。三上の考えは 歌うより行え ということである。三上は その後で ふところから俳句19首を出し 公表は好まぬ あとで仏心会にやってくれ という」
1972年2月15日。
雑誌「新勢力・三上卓追悼号」発行。末松太平は「水よりも淡く」というタイトルで寄稿している。
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今泉章利サンからお誘いの電話があった。
「5月の連休中に『二・二六事件慰霊像』前でお目にかかれませんか?」
ということで 久しぶりに3人(森田朋美サンも参加するという)で顔を合わせることになった。
慰霊像周辺を清掃して 慰霊像に参拝して 渋谷周辺の酒場に場所を移して・・・。
果たしてどういう会話に発展するかは不明だが 例えば「・・・」とか・・・? (末松)
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坪内隆彦氏からのコメント投稿には メールアドレスと共に「URL」も記されていた。
細かい文字を転記するするのは面倒なので 興味ある方は「坪内隆彦」で検索していただきたい。
坪内隆彦氏。1965年1月生れ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。「維新と興亜」編集長。元日本経済新聞記者。
そして・・・「一般社団法人 昭和維新顕彰財団」代表理事。
昭和維新ときくと即座に「二・二六事件」を思い浮かべる私も「顕彰財団」の存在は知らなかった。期待値マックス。直ちに「顕彰財団」のHPに到達したのだが 残念ながら「二・二六事件」には関心のない組織のようだった。
「昭和維新顕彰財団」役員一覧に圧倒される。会長+副会長+特別顧問+顧問(16名)+相談役(20名)+代表理事=坪内氏+理事(7名)+評議員(10名)+監事。60人近い名前が並んでいる。財団の所在地は岐阜市真砂町である。
「昭和維新顕彰財団」のHPには 令和4年に設立する《「青年日本の歌」史料館》についても記されている。
画像は 三上卓氏逝去の数年後に(末松太平宛に)送付された「複製画」だが 史料館を訪れれば三上氏直筆の原画に対面できるということだろう。
「青年日本の歌」は 麻布賢崇寺の「二・二六事件法要」でも歌われたことがあって その場に私もいたことがある。
1968年2月26日の「法要」には 三上卓氏も参列している。末松太平の「日記」には こう記されている。
「法要の式次第では『青年日本の歌』を歌うことになっていた。しかし 三上卓は自作を歌われることを好まなかった。仏心会のことは 仏心会のペースに任せろと説得した。三上の考えは 歌うより行え ということである。三上は その後で ふところから俳句19首を出し 公表は好まぬ あとで仏心会にやってくれ という」
1972年2月15日。
雑誌「新勢力・三上卓追悼号」発行。末松太平は「水よりも淡く」というタイトルで寄稿している。
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今泉章利サンからお誘いの電話があった。
「5月の連休中に『二・二六事件慰霊像』前でお目にかかれませんか?」
ということで 久しぶりに3人(森田朋美サンも参加するという)で顔を合わせることになった。
慰霊像周辺を清掃して 慰霊像に参拝して 渋谷周辺の酒場に場所を移して・・・。
果たしてどういう会話に発展するかは不明だが 例えば「・・・」とか・・・? (末松)
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