賢崇寺を訪れる度に 境内まで続く「急な上り坂」の試練が待受けている。
御高齢の事件関係者には この「急な上り坂」に耐えられるかどうかが 法要に参列できるかどうかの第一関門になる。
画像は 賢崇寺の旧参道。
賢崇寺が(第二次世界大戦の空襲で全焼して)昭和47年に再建されるまで 開創以来337年の長きにわたって 大名も乞食も武士町人も 或いは大臣大将庶民に至るまで この寺に詣でるためには必ず登り降りした参道である。
「86段のなだらかな石段を登りつめたところに 江戸時代典型的な鐘楼があり 鬱蒼たる樹木の間に銅茸の大本堂や倉院がある境内五千坪余、全く静寂幽玄の境であった」と 再建当時の案内には記されている。