◎「コロナ禍」が続く日々・・・今年も「2月26日」が近づいてきた。
※昭和~平成~令和。「前の前の年号」の頃に起こった「昔々の事件」を 今でも 新聞その他のマスコミは 取上げてくれるのだろうか。
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◎画像参照。
※大きいスペース=1986(昭和61)年2月19日(水)の「朝日新聞」掲載記事。
※小さいスペース=1986(昭和61)年2月26日(水)の「毎日新聞」掲載記事。
◎朝日新聞「証言/二・二六事件から半世紀」
※「この二十六日は、昭和史に決定的な転換をもたらした『二・二六事件』の五十周年に当る。
1936年のその日、一部の青年将校に率いられた在京の陸軍部隊約千五百人が、閣僚や要人の公私邸、朝日新聞社などを襲撃、高橋是清蔵相、齋藤実内大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総 監などを殺し、首相官邸などを占拠した。
クーデターは四日間で崩壊し、首謀者将校や右翼民間人ら十九人が死刑に処せられて事件は終わる。計画自体は実にあいまい、無謀なものだったが、その鎮圧、粛軍などの名で、軍部の強圧政治を引き出す役目は、十二分に果たした。
事件直後から、軍機(軍事機密)保護法の改定強化、思想犯保護観察法制定、ナチス・ドイツとの防共協定締結など言論、思想の弾圧、ファッショ化が急速に進められていく。
『二・二六事件』とは何だったのか。そして、現代は事件から何を学ばなければならないか。半世紀の区切りが来た今、関係者の証言を得ながら考えてみたい。(藪下彰治朗編集委員)」
※「言論の抑圧がテロを呼び、テロがまた抑圧を呼ぶ」
「過去のものか 暗黒の構図」
「戒厳令の引き金役担う」
「計画粗雑だが 軍が混乱利用」
・・・見出しを連記しただけで 新聞記事の概要は推察できるだろう。
※「関係者の証言」ということで(顔写真付きで)選ばれているのは 五人の方々。
・・・渡辺和子さん、池田俊彦さん、末松太平さん、高山信武さん、荒垣秀雄さん。
高山信武さん=「二・二六事件」の特別軍法会議で判士を務めた 当時の第一師団砲兵大尉。
荒垣秀雄さん=「二・二六事件」のとき、朝日新聞社内で銃剣を突きつけられた 当時の社会部次長。
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※「反乱軍に、襲撃後の計画は事実上なかったはずだ、と千葉市登戸に住む元歩兵第五連隊(青森)の大尉、末松太平さん(80)もいう。
当時、昭和維新を呼号するいわゆる『青年将校運動』の中心人物の一人だったため事件の一味とみなされて、禁固刑を受けた」
「『維新のための破壊さえすれば、あとはおれたちの気持ちをくむ将軍たちが、維新をしてくれる。叛乱将校たちは一般にそう考えていましたね。実際、反乱軍支持の大将や当時の陸相らが叛乱に呼応しようとしたのですが、信頼する重臣を殺された天皇が、激怒された。尊皇が唯一の旗印なのに、これじゃ、もうだめでした』/戦後やっと表れた数多い文献や証言はおおむね末松さんのこの回想を裏付けている」
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◎毎日新聞「筒井清忠氏に聞く/二・二六事件から五十年」
※「二・二六事件が起きて今日でちょうど五十年である。この日本近代史最大の軍隊叛乱は、いまなお多くの人たちの関心を引きつけている。しかし、その一方この事件を『クーデター』として客観的に解明する研究は、必ずしも十分ではなかった。/歴史社会学の立場から事件に新しい光を当てた筒井清忠氏は『成功の可能性もあったクーデター』という。『無計画・非現実的・観念的』といった二・二六事件の支配的イメージの修正を迫る筒井氏の見解を聞いた。(奥武則記者)」
※筒井清忠/奈良女子大助教授(社会学)。1948年、大分県生れ。京大大学院博士課程修了。二・二六事件の研究を含む著書に「昭和期日本の構造」(有斐閣)がある。・・・「毎日新聞」が当時紹介した「筒井氏の経歴」である。
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1986年2月。末松太平と筒井清忠の二人は 偶然に「朝日新聞」と「毎日新聞」で《競演》を果たしていたのだ。(末松)