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いつの間に「ソフトウエア工学からアジャイルが脱却した」んだろう(^^;)

2012-07-23 00:13:57 | トピックス
ひらなべさんのTweet

ダライ・ラマは、東洋医学の9割は患者と医者の関係にあり薬のみの分析は役に立たない、と。西洋医学はプラシーボ効果を除くのが常識。このことと、ソフトウエア工学からアジャイルが脱却したことは、似ている
https://twitter.com/hiranabe/status/226507258291429376


いつの間に、「ソフトウエア工学からアジャイルが脱却した」んだろう(^^;)


ただ、これが、今の学会や大企業、経団連とかが意識している意味での「ソフトウェア工学」の意味、つまり、ソフトウェア技術者と言う人たちがソフトウェアを作り、その人たちのための工学としてのソフトウェア工学なら、そのとおり。

アメリカで使われるテキスト

Software Engineering: A Practitioner's Approach

の1ページ(Chapter1の章の表紙)に、

"software is dead."

って出てくるけど、それと同じだと思う。
そのあとで、

"No it's dead... at least as once knew it"

once knew it(knewは「過去形」!で、現在完了でない!!)のソフトウェア工学はたしかに死んだし、その中にアジャイルはないんだよね。

 実際、死んだソフトウェア工学のあとの(ソフトウェア工学の)話が、このテキストでは展開され、3章では、日本には、あまり紹介されていないようなアジャイル(DSDMやASDとか)が出てくる。あ、もちろん、XPやScrumもでてくる。

 いまや、このテキストも古くて、「ユーザー中心設計」になり、デザイナーが力をもち、彼らのためのソフトウェア工学にいまやなりつつある。
 つまり、ソフトウェア工学のコペルニクス的転回(エンジニアのためのソフトウェア工学から、ユーザーのためのソフトウェア工学へ)が起こり、ソフトウェア工学が学際的になって、社会学との融合が進んできている。
 その結果、儲かるためのソフトウェア開発から、ソフトウェアをとりまく環境を構築するためのソフトウェア工学(社会学?)に変わりつつあるっていうのが、ソフトウェア工学の「いまここ」なんじゃないかな、と思います。
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