博客 金烏工房

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『大清風雲』その1

2006年09月06日 | 中国歴史ドラマ
BSジャパンで放映している『康熙王朝』が存外に面白いので、もっと清朝の歴史劇が見たいなあということで、『大清風雲』を鑑賞。太宗ホンタイジから順治帝の時代を扱っており、時代的には『康熙王朝』の前段階ということになります。順治帝の摂政を務めた睿親王ドルゴンと、ホンタイジの妃で順治帝の母の大玉児(荘妃、孝荘文皇太后)が主役で、この二人は少年少女時代に恋人同士だったという設定になっています。

ドルゴンは張豊毅、大玉児は『笑傲江湖』の任盈盈役でお馴染みの許晴、ホンタイジは姜文が演じています。姜文は意外と貫禄があり、いかにも腹に一物ありそうな雰囲気を醸し出しております(^^;) 許晴も山内一豊の妻もびっくりの賢夫人を好演。張豊毅は……顔つきにいまいち知性が感じられないのが何とも……

今回は難波の上海新天地で仕入れた、7枚のDVDに全50話を詰め込んだ廉価版で鑑賞。さすがに1枚あたり7話ずつとなると画質が粗いです…… 以下、第1話から10話までの内容です。

物語は黒山城での戦いから始まります。ドルゴンたちが明将の范浩民と激戦を繰り広げている頃、盛京では大玉児がホンタイジの九男・福臨を出産。黒山城の戦いでは清軍が明軍を破り、大将の范浩民を生け捕りにします。ホンタイジは何とか范浩民を清に仕えさせようとしますが、范浩民は頑としてその要求を受け付けません。しかし大玉児が親身になって范浩民の世話をしたので次第に彼も心を開いたかと思いきや、結局彼はホンタイジや大玉児の心遣いに感謝しながらも、明への忠節を全うするために自決してしまいます。

范浩民は死ぬ前に文人として暮らす弟の范浩正を清朝の官として推薦するという遺書を残していた。ホンタイジは早速使者を遣わして范浩正との接触をはかります。范浩正は清朝側の申し出に戸惑いつつも清朝に仕えることを決意します。以後、彼は漢人ながらホンタイジの信任を得ることになります。

その後、明の衰退を尻目に清は国力を伸ばし、中原進攻を窺うようになります。しかしその清朝の大黒柱であるホンタイジが急病で昏倒すると、昨日までホンタイジを中心に仲良く酒を酌み交わしていた連中が、途端にホンタイジの死期も近いとばかりに跡目をめぐって対立するようになります。

ドルゴンは同母の兄弟の英親王アジゲ、予親王ドドと雁首を揃えて、ここぞとばかりにホンタイジに対する過去の恨み辛みを吐き出します。曰く、そもそも太祖ヌルハチの死後はドルゴンが皇帝になるはずだったのが、ホンタイジがドルゴンらの母を殉死させたうえ、帝位を奪い取ってしまい、そればかりか、ドルゴンと恋人同士だった大玉児を自らの妃にしてしまったのだと。……ホンタイジはホンマに悪いヤツです(^^;) ただホンタイジ自身は、大玉児についてはドルゴンとの仲を知らなかったのだと弁解していますが…… かくしてアジゲ、ドドはドルゴンを新帝に擁立することにし、ドルゴン自身も皇帝即位の決意をかためます。

一方、ホンタイジの長男・粛親王ホーゲはホンタイジの側近のソニンと、満州第一の勇士として名高いオーバイ(この二人は『康熙王朝』でもお馴染みの面子であります。)、そしてホンタイジらの兄にあたる礼親王ダイシャンを味方に付け、ドルゴンを押しのけて自らが帝位につこうとします。

ホンタイジが後継を明言しないまま崩御したことで、跡目争いは加熱する一方。漢人の范浩正はこの事態を憂慮し、争いを収めるためにわずか5歳の福臨を新帝に擁立し、ドルゴンを摂政王とする案を大玉児に献策します。後継争いはドルゴンが不利と見た大玉児はこの案に飛びつき、自らホンタイジらの従兄弟にあたる鄭親王ジルガランとソニンに根回しをします。

そして盛京の崇政殿での会議で、ドルゴン擁立派とホーゲ擁立派の議論が白熱する中で、ジルガランが福臨擁立案を提案し、それが諸臣に受け入れられます。こうして福臨、すなわち順治帝が即位し、ドルゴンとジルガランが摂政として補佐するという体制が成立しましたが、当の福臨はドルゴンと大玉児の密会を邪魔したり、「僕、ドルゴン叔父さんなんて嫌いだ。ホーゲ兄さんの方が好き。」などとのたまう始末(^^;) この辺が後々の伏線になっていくのでしょうか。

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