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『古代中国の虚像と実像』その5(完)

2009年12月27日 | 中国学書籍
落合淳思『古代中国の虚像と実像』(講談社現代新書、2009年10月)

本書の第10章で、前漢王朝で儒学が正式に採用されたのは(実はこの認識にも微妙に問題があるのですが、もう面倒臭いのでここでは触れません。)儒家思想が現実から遊離した理想論であったからであるとしています。

これに関連して、以前に即位したばかりの若き漢の武帝が儒学に傾倒したのはなぜだろうと考えてみたことがあるのです。その時の結論としては落合氏の推論とは逆に、武帝は儒学の説く礼制が極めてシステマチックな所に惹かれたのではないかということになりました。礼制というのは身分の等級によって生活のあらゆるものがきめ細かく区分されるというもので、その代表格が葬式や服喪の時に着る喪服を定めた喪服制です。礼制の中では当人と個人との親等などに応じて着る喪服や服喪の期間などが細かく定められています。

しかし武帝の儒学への傾倒は儒学嫌いの竇太后によって粉砕されてしまいます。その竇太后が信奉したのが黄老思想ですが、これは今で言う相田みつをの詩みたいなもんじゃなかったかと思うのです。「失敗したっていいじゃないか、人間だもの」とか、そんな感じですね(^^;) 何か難しい理屈がよく分かんない人とか年寄りにウケる要素を多分に持っていたと思うんですよ。『老子』だって言ってみれば今日のお言葉集みたいなもんですし。

若き武帝は心底そういうのがイヤだったんでしょう。「小国寡民?クソワロス」「為政者が何もせずに世の中が治まるのが良い政治?寝言は寝てから言えよwww」とか、そんな感じだったんじゃないかと。

話変わって、本書第12章では始皇帝が君主権の強化を説く『韓非子』を好み、実際その通りに君主権の強化に励んだこと、また『韓非子』の主張通りに君権を強化しようとすると、必然的に呂不韋のような権臣が排除されるといったことを述べています。これに関して、私はここ2~3年『韓非子』を紐解くたびに、この書が厨二病の産物だったのではないかという印象を強くしています。これを信奉した始皇帝も当然厨二病を物凄い勢いでこじらせていたということになるでしょう。韓非の思想=極めて厨二病的な思想という前提に立つと、李斯が韓非を排除したことなんかも何となく腑に落ちるような気がしてきます。

先秦期や始皇帝を扱ったエンタメ作品では「儒家=現実を見てない、ダサイ」「法家=リアリスト、カッコイイ」みたいな図式で語られることが多いのですが、私はこうした認識には強い疑問を持っています。

【追記】
この本を読んで、元気になったら次の論文のテーマは西周共和期にしようと思いました。人に論文の題材を提供してくれるんですから、この本は良い本なんですよ、きっと(^^;)

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2 コメント

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武帝という人の性を考えると理想論から傾注したとはとても思えない。 (師走)
2009-12-28 21:47:42
 『ユリイカ』白川静特集号をみました。白川静先生の学説に異議を唱える人が多かったぜ。こういう特集号は先生がご存命のときに出そうぜと生意気なことを思った。

>儒家と法家
 根本的に、儒家は人間のドライな部分と戦い、法家は人間のぬるい部分と戦ってるわけで、互いに骨肉相食む感じになってしまうのは仕方ないですよね。ただ、「儒家思想が現実から遊離した理想論であった」という見方はひどく近現代的な視野からくる言い分で、偉い人はもっと言葉を選んで欲しいかな。儒学にしても、長い歴史の中でそういう批判が出るたびに、その時代ごとに儒家がそれぞれ理論を構築して反撃してますしね。
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Unknown (さとうしん)
2009-12-29 18:04:15
>師走さま
『ユリイカ』で白川静の特集したりするんですか…… 白川静自体は1~2世代前の人なんで、その研究成果も1~2世代前のものとして見れば妥当なもんだし、クオリティは高い。それだけのことなんですけどね。仮に今ご存命でも楚簡の字形と金文の字形を比較した研究なんて絶対やんないでしょうし。

>儒学
なぜ最終的に儒学が選択されたのか?儒学を単なる理想論だと言う人にはそのことをもっと真剣に考えてもらいたいと思うのですが……
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