わたしの里 美術館

とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

鏑木清方

2010-06-24 | 日本人作家

 

  自画像


鏑木 清方 (かぶらき きよかた)

1878年(明治11年)831日 - 1972年(昭和47年)3月2日)
明治~昭和期の浮世絵師、日本画家。なお、姓は「かぶらぎ」でなく「かぶらき」と読むのが正しい。


 
近代日本の美人画家として上村 松園伊東 深水 と並び称せられる。作品は風景画などはまれで、ほとんどが人物画であり、単なる美人画というよりは明治時代の東京の風俗を写した風俗画というべき作品が多い。

 

 


清方は1878年、東京・神田に生まれた。本名は健一。父は条野採菊といい、山々亭有人と号した幕末の人情本作家であった。14歳の1891年(明治24年)、浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門した。翌年には日本中学をやめ、画業に専心している。17歳ころから清方の父親・採菊が経営していた「やまと新聞」に挿絵を描き始め、十代にしてすでにプロの挿絵画家として活躍していた。師である年方もまた「やまと新聞」に挿絵を描いており、年方が展覧会出品の作品制作に向かうにつれ、清方も21歳、明治31年(1898年)の第5回日本絵画協会展に初めて大作を出品した。以降、美人、風俗画家として活動を始めるが、青年期に泉鏡花と知り合い、その挿絵を描いたことや幼少時の環境からも終世、江戸情緒及び浮世絵の美とは離れることがなかった。

 

  一葉女史の墓(1902年)
 
1901年(明治34年)には仲間の画家らと烏合会(うごうかい)を結成。このころから、「本絵」(「挿絵」に対する独立した絵画作品の意)の制作に本格的に取り組みはじめ、烏合会の展覧会がおもな発表場所となる。初期の代表作として『一葉女史の墓』(1902年)がある。少年期から樋口一葉を愛読した清方は、一葉の肖像や、一葉作品をモチーフにした作品をいくつか残している。その後1916年(大正5年)には吉川霊華(きっかわれいか)、平福百穂(ひらふくひゃくすい)らと金鈴会を結成するが、清方自身はこうした会派、党派的活動には関心があまりなかったようだ。1927年(昭和2年)、第2回帝展に出品した代表作 『築地明石町』 は帝国美術院賞を受賞。このころから大家としての評価が定まったが、清方はその後も「本絵」制作のかたわら挿絵画家としての活動も続け、泉鏡花の作品の挿絵も描いている。清方自身も文章をよくし、『こしかたの記』などいくつかの随筆集を残している。

 築地明石町 1927

 

 


 
第二次大戦の空襲で東京の自宅が焼け、終戦後の晩年は鎌倉に住んだ。関東大震災と第二次大戦による空襲という2つの災害によって、清方がこよなく愛した明治時代の古き良き東京の風景は消え去ってしまったが、彼は自分がこよなく愛した東京の下町風俗や当世風の美人を終生描き続けた。1954年(昭和29年)、文化勲章を受章。明治、大正、昭和を生き抜いた清方は1972年(昭和47年)、93歳で没した。晩年を過ごした鎌倉市雪ノ下の自宅跡には鎌倉市鏑木清方記念美術館が建てられている。墓所は台東区の谷中墓地。

 鎌倉市 鏑木清方記念美術館


 
挿絵画家出身で、浮世絵の流れもくむ清方の画風は、全体の画面構成などには浮世絵風の古風なところもあるが、人物の容貌だけでなく内面の心理まで描き尽くす描写には高い技量と近代性、芸術性が見られる。重要文化財指定の『三遊亭円朝像』(1930年・昭和5年)は、清方には珍しい壮年男性の肖像であるが、代表作の一つに数えられている。清方の門人は数多く明治30年に入門した門井掬水を筆頭に、林緑水、石井滴水、西田青坡、伊東深水、山川秀峰、寺島紫明、笠松紫浪、柿内青葉、川瀬巴水、小早川清、鳥居言人、古屋台軒、北川一雄らがいた。

 


代表作品 

 一葉女史の墓(1902年)(鎌倉市鏑木清方記念美術館蔵)
 墨田河舟遊(1914年)(東京国立近代美術館)
 朝涼(あさすず)(1925年)(鎌倉市鏑木清方記念美術館蔵)
 築地明石町(1927年)(個人蔵)
 三遊亭円朝像1930年)(重要文化財、東京国立近代美術館)
 一葉像(1940年)(東京藝術大学)
 暮れゆく沼
( wikipedia ) 

 

鏑木清方「遊女」 横浜美術館蔵

 1918年(大正年)

 絹本着色、裏箔、21
KABURAKI Kiyokata (1878-1972)
Courtesan (情婦)
1918
color on silk with goldleaf on the reverse, two-panels folding screen

 

 

Tattoo

 

パックン

 

 

 

  月岡芳年

鏑木清方の師、水野年方は芳年の門人であり、清方は孫弟子にあたる。
芳年は落語が好きで、上の図は円朝の噺を聞いている姿を清方が写した。

 

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