フリュネ
フリュネ(プリュネ)
(ギリシャ語:Φρύνη, 英語:Phryne)
紀元前 4世紀の古代ギリシアの有名な高級娼婦(Hetaera, Courtesan)。
客にいくら請求するかは、相手をどう思ったかによって、
自分で自由に決めていた。
顧客の言い分では、フリュネは最初 いつもの 額を持ちかけて、
もし相手がそれに応じたら、値段を釣り上げていたらしい。
(wikipedia)
美貌と富
フリュネの本名はネサレテ(ギリシャ語:Μνησαρετή, 英語:Mnesarete, 賛美された美徳という意味)と言った。しかし顔が黄色かったため、娼婦仲間からフリュネ(ヒキガエルの意味)という渾名(あだな)をつけられた。生まれはボイオーティアのテスピアイだが、アテナイに住んでいたらしい。フリュネはその類いまれな美しさによって巨額の富を得た。どのくらい金持ちだったかというと、紀元前 336年にアレクサンドロス 3世 (アレキサンダー大王)によって破壊されたテーバイの城壁の再建をフリュネが買って出たほどである。ただし、「 アレクサンドロスにより破壊され、娼婦フリュネにより修復される 」 という言葉を壁に刻むのが条件だったので、テーバイ側はその申し出を断った。
Venus Colonna, antike Replik
der „Aphrodite von Knidos“ von Praxiteles
; Phryne war angeblich das Modell
名 声
フリュネの美貌は有名だった。
ポセイドーンとエレウシスの祭が開かれた時、フリュネは着ていた服を脱ぎ、髪をおろし、素っ裸で海に入っていった。衆人環視の中だった。その中に画家のアペレスがいたという説がある。アペレス (Apelles) の有名な絵 『海から上がるヴィーナス(アプロディーテー)』 のモデルはフリュネだというのである。ちなみに、このアペレスの絵は、この題材の典型となった(普通アプロディーテーは立像だが、アペレスのアプロディーテーは座っている)。
ずっと後の時代だが、ジャン=レオン・ジェロームの 『Phryné devant l'Areopage(アレオパゴス会議でのフリュネ)』(1861年)も、フリュネの美貌にインスパイアされたものである。
彫刻では、プラクシテレスの『クニドスのアプロディーテー』もモデルがフリュネだと(何人かによって)言われている。
文学では、シャルル・ボードレールの詩 『レスボス』 と 『美の女神』、ライナー・マリア・リルケの詩 『フラミンゴ』 が、フリュネの美と名声に霊感を受けて書かれた。
裁 判
エレウシスの秘儀を冒涜した罪でフリュネは訴えられた。フリュネを弁護したのは、フリュネの愛人の1人、雄弁家のヒュペレイデス(Hypereides)だった。しかし形勢は不利で、ヒュペレイデスはいきなりフリュネのローブを引き裂いて、その乳房を露わにした。それでフリュネは無罪となった。一説には、フリュネが自ら着ているものを脱いだとも言われている。裁判官の心変わりは、単純に彼女の美しいヌードに圧倒されたからではなく、その時代、肉体の美は、神性の一面・神聖なしるし と 見なされたからだった。
マレーシアの歴史に残る名宰相 マハティール 氏の云うことには、『欧米人は利欲的であり、かつ肉欲的でもある。』。東洋人は農耕を効率的に、行って濃密な人口密度で暮らしてきた。なので、性愛を奔放にしすぎると、社会が混乱する。なので、性愛に関しては抑圧的で、禁欲を人徳と為してきた。これに対して、米欧の支配階級では、良い後継者を得るために、積極的に強健で美しい肉体を追求する傾向が強かった。
つまり、美しい健康的な肉体は、何にもまして価値あるものだった。
パリスの審判 【ルーベンス】
プラクシテレスの作ったフリュネの彫像は、テスピアエ神殿の、やはりプラクシテレス作のアプロディーテー像のそばに置かれた。
プラクシテレスとその美しいモデルだったテスピアイの高級娼婦(courtesan)フリュネの想像上の関係は、絵画(ジャン=レオン・ジェロームの『Phryne before the Areopagus』)、音楽(カミーユ・サン=サーンスの『フリーネ』)、影絵(Charles Maurice Donnayの『Phryne』)といったさまざまな作品で、憶測と解釈を生んでいる。
wikipedia
ある時、リディア王がフリュネを求めたが、フリュネは法外な金額を要求した。むかつく奴と思ったからである。しかし王はその金額を呑み、フリュネは王の希望に応えた。
反対に、哲学者のディオゲネスには無料で身を与えた。ディオゲネスの精神を立派だと思ったからである。ディオゲネス・ラエルティオスは、フリュネが哲学者クセノクラテスの美徳を確認しようとして失敗したと言っている。
ギリシアの詩人・著作家のディミトリス・バロス(Dimitris Varos)は、『フリュネ』 という本を書いた。