マリリン・モンロー (Marilyn Monroe、)
本名ノーマ・ジーン・モーテンセン
Norma Jeane Mortensen
ノーマ・ジーン・ベイカー
Norma Jeane Baker
生年月日 1926年6月1日
没年月日 1962年8月5日(満36歳没)
出生地 カリフォルニア州ロサンゼルス
死没地 カリフォルニア州ロサンゼルスブレントウッド
国籍 アメリカ合衆国
職業 女優
活動期間 1947年 - 1962年 マリリン・モンロー として活動。
配偶者 ジム・ドハティ/ ジョー・ディマジオ/ アーサー・ミラー
Andre De Dienes 1945
Norma Jeane Mortensen 【Talent】
やがて新進の写真家アンドレ・ド・ディーンズと知り合い、モデルとしての才能を発見される。この年、二人で長い撮影旅行に出かけている。アンドレ・ド・ディーンズ はマリリンがモンローになる前のノーマ・ジーンの初々しい姿をカメラに収めた。その後、髪をゴールデン・ブロンドに染めたセクシーなピンナップが売りものの雑誌に写真が掲載されるようになる。
(wikipedia)
不慮の死をとげたのは、1962年8月5日です。
当初から謀殺説がささやかれて、ときがすぎるのにつれて、陰謀説が溢れ出てきました。
赤い手帳の行方とか、薬を飲んだコップがないとか色々ありました。
つい最近も、ムーンウォークで有名になったマイケル・ジャクソンが薬で亡くなりました。
マイケル・ジャクソンさん死去:過失致死の疑いで専属医訴追--ロス検察 将来を嘱望された正統派保守の 中川昭一氏 の死亡にも謎があると言う人も少なくありません。政治家や芸能人であまりにも人気があるばあいは、死亡は事件として噂のタネです。マイケル氏の死亡をうけて、関連商品の売り上げは莫大なものになるでしょう。その利益の為に殺されたと言えばいえます。
マリリン・モンロー (Marilyn Monroe、)
小生の中学生の頃は、バスケット・コートが屋外であった。
1962年8月5日に彼女は不慮の死をとげた。日本でも新聞に大々的に、その記事が出た。たかが女優の死を、芸能スポーツ紙でもないのに、何故載せるのか訝しく思ったのを憶えている。突き指で親指が腫れて、痛かったのがなんとかならないか。こっちの方が重大関心事で、おばさんの死なんかどうでもよかった。
1926年生まれだから、36歳での死亡である。
中学生にしてみれば、小母さんでもあり、どちらかというと母の年にも近い。ところが高校生にもなれば、妖しげな本なども読んだりして、そこには色んな女優とかも載っている。リアルな人物というよりも、タレントとしてみれば、年の差などは関係なくなる場合があるものだ。本名は、ノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jeane Baker)で、もとはノーマ・ジーン・モーテンセン(Norma Jeane Mortensen)と云う名で出ていたらしい。
白黒のヌード写真が、いくつかの書籍にのっていたのを、見た記憶があるが其れは今はない。この類の本などは引っ越しの度に、捨てるとか焼いてしまうものだと思っていた。そう言えば手塚治虫の漫画本、五段積みの本棚にぎっしりとあったのだが、すべて勉強の邪魔と焼かれてしまった。いまあったならば、どれほどの価値なのだろう。
ケネディ兄弟との情事は大学生になってから、ハードカバーの書籍で読んだ。
高校生の文化祭というのがあって、そこで補習科の生徒が喫茶店みたいなのを出した。そのころはまだ芸術科の受験も諦めていなかったのか、絵心があったのでマリリン・モンローの絵を描いて、飾ったりもした。♪二人のため、世界はあるの♪、とかの唄が流行っていて、ギターの弾き語りをする奴がいて、あわせて謳ったのを憶えている。なんとなくハモっていたような気もするが、この頃はまだ音楽クラブには入っていなかった。