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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

フランチェスコ・アイエツ

2007-12-28 | 作家の記録

 

Francesco Hayez (1791-1882) 

                   

フランチェスコ・アイエツはヴェネツィアの貧しい家の出である。父親はフランス系、母親はムラーノの出身。フランチェスコは五人兄弟の末っ子で、母方の叔母夫婦に育てられたが、この叔母は裕福な船舶所有者また美術収集家の妻であった。叔父は、子供の頃から素描の才能を見せたフランチェスコを、ある美術修復家の元に弟子入りさせる。後にフランチェスコは画家の Francisco Magiotto の生徒となり、3年の間学ぶ。1806年には New Academy of Fine Arts の絵画コースに入学し、Teodoro Matteini の元で学ぶ。1809年、 アカデミア美術館主宰のコンペティションに入賞し、ローマのアッカデミア・ディ・サン・ルーカで1年学ぶことになる。フランチェスコは1814年までローマに滞在し、次にジョアシャン・ミュラに任命されて『アルキノオスの法廷にいるユリシーズ』を制作するためにナポリに移る。1830年代半ばにはミラノのサロンに出席していたことが分かっている。1850年にブレラ美術館のディレクターに任命された。
フランチェスコ・アイエツに対する評価は、彼が自分の作品にサインや日付を入れなかったため、困難なものとなっている。更に彼はしばしば同じ構成で絵を描いたが、それらにはほとんど違いがないか、全く違いがないものがある。彼の初期の作品にはドミニク・アングルやナザレ派の影響が見られる。後期の作品は古典復帰の傾向が見られる。
 
 
Tempio di Gerusalemme (エルサレム陥落)
 
 ( The destruction of the Temple of Jerusalem)
1867年 制作
技法 Olio su tela (画布に油彩)
Dimensioni 寸法 183 × 252 cm
所蔵 Galleria d'Arte Moderna, Venezia
エルサレム攻防戦 の故事が描かれている。
 
 
 

フランチェスコ・アイエツ 『オダリスク』 (1867年、ブレラ美術館所蔵)

Francesco Hayez, 1791年2月15日 - 1882年2月11日)は、イタリアの画家。
19世紀ミラノの代表的なロマン主義画家。

 

Francesco Hayez Afrodite 裸婦図【アイエツ】1859年

 

 ルツ
 
 
 Galleria tematica dipinti di Venere - Afrodite
 
 
参照サイト 
     (収録絵画 7点)
          (聖書を持って瞑想する女性)

 

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