ひまわり
I Girasoli
マルチェロ・マストロヤンニ と ソフィア・ローレン が主演した反戦映画の傑作。
日本での公開は1970年 9月。
監督はネオレアリズモ(イタリアンリアリズム)の一翼を担ったヴィットリオ・デ・シーカ。音楽を「ティファニーで朝食を」や「ピンクパンサー」などで知られるヘンリー・マンシーニが担当し、公開当時には主題曲も日本でヒットした。戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、劇中幾度か登場する、地平線にまで及ぶひまわり畑の美しさと、もの悲しさが圧巻。劇中に出てくる画面を覆いつくすひまわり畑は、ソ連で撮影されたものではなく、スペインで撮影されたものという。一面のひまわり畑をソ連で撮影することは難しかったために、ひまわり畑の多いスペインでの撮影になった。
当時、西欧諸国と友好的な関係になかったソ連に入国するのは容易ではなく、まして映画の撮影には当然許可が下りなかった。しかし、必死で映画の内容を説明し許可を得ることができたという。他にも様々な苦難のエピソードがある。
第二次世界大戦終結後のイタリア。出征したきり行方不明の夫の消息を求め、関係省庁へ日参する女性の姿があった。
戦時中、洋裁で生計を立てるジョバンナとアフリカ戦線行きを控えた兵士・アントニオは海岸で出会い、すぐに恋に落ちた。12日間の結婚休暇を目当てに結婚式を挙げたふたりは幸せな新婚の日々を過ごすが、休暇の12日間は瞬く間に過ぎてしまう。精神疾患による除隊を目論んだアントニオは首尾よく精神病院に入院するが、あえなく詐病が露見。懲罰の為、ソ連戦線へと送られてしまう。
終戦後、ジョバンナは年老いたアントニオの母親を励ましながら夫の帰りを何年も待ち続け、ようやく同じ部隊にいたという男を見つける。男の話によるとアントニオは敗走中、極寒の雪原で倒れたという。ジョバンナは愛するアントニオの生存を確かめるため、ソ連へと足を運ぶ。
かつてイタリア軍が戦闘していたという街でアントニオの写真を見せて回るジョバンナだったが、一向に消息が掴めない。そんな中、戦後も祖国へは戻らずにロシア人として生活しているイタリア人男性と出会う。しかし彼は多くを語らず、また、アントニオの事も知らないと言う。ジョバンナはもしやアントニオもと、微かな不安を抱く。
言葉も通じない異国で尚も諦めずにアントニオを探し続けているうちに、写真を見た人から一軒の家を紹介される。そこには、若妻風のロシア人女性・マーシャと幼い女の子・カチューシャが暮らしていた。言葉は通じずとも互いに事情を察するジョバンナとマーシャ。やがて汽笛が聴こえ、マーシャはジョバンナを駅に連れて行く。汽車から次々と降り立つ労働者たちの中にアントニオの姿があった。ジョバンナはそのまま何も言わずに汽車に飛び乗り、涙を流し去って行く。
駅でアントニオはジョバンナを目撃していた。苦悩した彼は数ヵ月後、マーシャの許しを得てミラノに向かう。再会した二人だったが感情がすれ違う。ジョバンナにも新しい夫と子供が居る事を知ったアントニオはソ連に帰ることを決心する。翌日モスクワ行きの汽車に乗るアントニオをジョバンナが見送りに来た。彼を乗せた汽車が去っていったこのホームは、数年前彼女が戦場へ行く若き夫を見送った、その同じホームだった。
ひまわり ( 原題 I Girasoli )
監督 ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本 チェーザレ・ザヴァッティーニ
アントニオ・グエラ
ゲオルギ・ムディバニ
出演者 マルチェロ・マストロヤンニ
ソフィア・ローレン
リュドミラ・サベーリエワ
音楽 ヘンリー・マンシーニ
撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ
公開 伊 1970年3月14日
日本 1970年9月12日
東欧諸国は、ウクライナ産の小麦や、向日葵の種など穀物を、買わない。
だが国内を通過して、諸外国に運ぶのは、許可している。
東欧各国は、ゼレンスキーを大統領が起こさせた、ウクライナ戦争を疎ましく思っているのが、こうした措置で窺える。
ウクライナの人々は、テレビドラマに騙されて。
糞芸人の碌でなし、ゼレンスキーを大統領に 選ばされた。
台湾有事 - 我が郷は足日木の垂水のほとり (goo.ne.jp)