我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

1948年12月23日

2009年12月23日 | 歴史

 

 

脅されれば凹む、屁垂れが殆どなのか。
恫喝に屈しない、そんな奴も居るにはいる。

ましてや、わが君の皇子の誕生日の蛮行。
其を敢えて成した、基地外は朝鮮戦争で死んだと謂ふ。
   
http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-212.html

奇しくも、12月23日の事と記されてある。


時の皇太子殿下は、平成の御代の今上天皇である。

我邦を舐めれば、酬いはある。


黄金の枯葉は散って、冬枯れである。
芒野原に、綿毛は舞うて、木枯らしが吹いている。
雨は病んで、宇宙基地へ昇る梯子は外された。

外交と防衛の主権回復は、其の緒に就いた。
売国利権の自民辺野古案は、潰されて骸は晒されている。
5月になれば、もう一度その骨でも洗うのか。


ネットの時代ともなれば、全ての日本人がこの蛮行を知るのに
それほど時間もかからない。

殆どの里人は、心の刃に砥石をあてる

                                                               

 

          記事の課題分類 宗教および、哲学   

 
   我が郷の付録
  「長めの記事」は別記事として、「別冊」に分けました。読んで頂ければ幸甚で
す。
太平洋戦争が終わり、今ではその法的根拠のなさがはっきりした東京裁判でA級戦犯となった28名が投獄されたのは昭和天皇の誕生日である4月29日、そのうち7名が平成天皇(当時は皇太子殿下)の誕生日である12月23日に絞首刑になったことです。
 そして、トラックに積まれた遺体は久保山火葬場において焼かれて石油缶へ詰め込まれ、入りきらないお骨は塵取りで洞窟に捨てられました。
 もちろん、極秘裏に行なわれた蛮行でしたが、元首相小磯国昭の弁護士を務める三文字正平氏が「もしかして」とカンをはたらかせ、拘置所の陰に隠れて待っていたところ、案の定の進行となったのです。
 弁護士を含む三人が協力し合い、翌日の深夜、クリスマスイブを祝う占領軍の目を盗んで遺骨の一部が収集され、丁重に弔われました。

 この事件には後日談があります。処刑を実行した占領軍の将校は、その後勃発した朝鮮戦争の最中、朝鮮の地でジープごと高い崖から転落し、死亡しました。その日は、奇しくも12月23日でした。 

       ◎記事の紹介終わり。

 

   以下は参照記事です。 

  恒星間飛行 (小型核爆発推進式・宇宙船)
 
 
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  アクセスの記録 2009.12.22(火)    971  PV    271  IP    3123 位  /  1340997ブログ
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