我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

本名は三浦ウメ

2009年11月25日 | 日記

 

                    

水の江瀧子が亡くなって何日か経つ。NHK 『 ジェスチャー 』 の記憶も曖昧になり、只それだけの人であった。森繁の後を追うような、芸能界の巨星の逝去であった。なにげに調べてみると、彼女の方が、格上だったような。生まれは1915年とあるから、『対華21ヶ条要求』が出された年である。これは1月に大隈重信内閣の加藤高明外務大臣が、中華民国の袁世凱政権に突きつけたもの。第一次大戦勝利の威勢を借りてのものなのか。2月に滝子は生まれている。本名は三浦ウメ。北海道は小樽市の生まれ。私見なれど、北海道には三浦姓が多いような気がする。

Wikipediaに拠れば、1930年には日産ダットサンのキャンペーンガールで人気を博したとある。1933年には、僅か18歳で争議委員長、少女部員230名を指揮して湯河原に立て籠もったりもした。労働争議である。森繁が芸能界入りしたのは、戦後のことであるから、大先輩。ただし彼の生まれたのは、1913年5月で二つ年上。

戦後は鶴田浩二の新生プロに在籍した。

亦1955年から1970年の間は日活の映画プロデューサーで数多くの映画を作った。その中でヒットしたのは石原裕次郎、浅丘ルリ子、和泉雅子。我らが腕白時代のころではあるが、映画はあまり見ていない。我が郷は草深き田舎故、映画館は無い。今でもない。見るにはバスに揺られて一日掛りであった。そのような贅沢は盆と正月だけである。雑誌とかはよく見かけたが、自分で買うことは無い。その出で立ちや、言動から「進駐軍」の臭いがして、軽薄に見えた。只、水ノ江女史は何故か沈んで見えた。今にして思えば重鎮故なのか。

芸能界は、ヤクザ家業の泥沼に咲く花園。鶴田浩二襲撃事件やマネージャーの服毒自殺など闇の臭いが漂うのも風格のうち。甥の三浦和義は雨に無理矢理連れ去られて、獄死している。自殺とあるが知れたものではない。正々堂々が男の花道なれど、この泥沼は臭くて暗い。女史は独身故か生前堂々の、生前葬。

 http://www5a.biglobe.ne.jp/~myouji/zukan/frame/f000045.htm
このサイトによれば、北海道には 「 三浦 」 姓が、6,400世帯あり分布率は、0.24%とある。

 

 
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