東トルキスタン共和国亡命政府 ( ひがしトルキスタンぼうめいせいふ )
2004年9月14日にアメリカのワシントンに、在外東トルキスタン人(ウイグル人)活動家によって設立された東トルキスタンの亡命政権である。1933年~1934年と1944年~1949年に存在していた東トルキスタン共和国との直接の連続性を標榜し、独立を目指し活動している。
1949年の人民解放軍が ウイグル へ侵攻した時に前後して、多数のウイグル人が東トルキスタンを離れ、アフガニスタンを経てトルコなど諸外国に離散していった。主にこうした在外ウイグル人を中心として、ソ連の一方的な意向による東トルキスタン政府の解散・国民政府との合流や、その後の中華人民共和国による新疆併合の手続きを批判し、東トルキスタンはその全域が東トルキスタン共和国として再び分離、独立すべきであるとする運動が続けられてきた。
現在では中国政府による新疆政策を批判し、独立を望む中国領育ちのウイグル人活動家も加わっている。また、この運動では、ウイグル人に対する圧迫や地域の漢民族化などが行われているとして人権問題に絡めての中国政府批判も行っている。
冷戦期、チベット独立運動におけるダライ・ラマ14世のような統一指導者がいないことは、ウイグル独立運動の大きなマイナス面と言われていた。このため乱立していたウイグル独立組織・独立運動家の連合組織として、1992年に東トルキスタン民族会議が、1996年に世界ウイグル青年会議が設立された。この両者は2004年4月16日に合流し、「平和的・非暴力的・民主的」な反対運動を行う世界ウイグル会議に再編された。
しかし、以上のような世界ウイグル会議の姿勢は独立の事実上の放棄だと考える亡命ウイグル人グループ、あるいはトルコ・ヨーロッパ系初期ウイグル独立運動を指揮したアルプテキン派に含まれない亡命ウイグル人グループは2004年9月14日にアメリカのワシントンD.C.に集まり、世界ウイグル会議とは別個の組織を設立した。これが東トルキスタン共和国亡命政府である。初代大統領としてエフメット・イゲムベルディ(在任:2004年9月14日 - 2005年7月30日)、副大統領としてアブドゥウェリ・ジャン(2008年死去)、首相兼外相としてエニウェル・ユスップ・トラニ、副首相としてエリキン・エズィズが選出された。
彼らは2004年の11月26日には憲法[2][2][3] を発表し、亡命政権としての正統性を主張するなどして、東トルキスタン共和国の独立をめざし活動している。
東トルキスタン亡命政府は、世界ウイグル会議を批判している。すなわち、東トルキスタン亡命政府は、世界ウイグル会議の設立は「独立運動を防ぎ、中華帝国の統一維持に貢献」するものであり、世界ウイグル会議の姿勢は「いつまでも中華帝国の支配下に置かれ、奴隷であることを目ざす」ものであり、亡命政府が独自に制定した憲法に照らして売国の罪に問われるべきだ、としている。
また亡命政府は、政治的に東トルキスタンとされる地域、すなわち現在の中華人民共和国の植民地になっているウイグル自治区に相当する地域を東トルキスタン共和国の正統な領土であると主張し、似た立場に置かれたチベットや台湾の独立にも賛成を表明している。
( Wikipedia より抄出、わが郷により画像の添付、編集あり )