我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

田 英夫

2010年02月27日 | 政治家

政治家の顔 民主党とかサヨク系

田 英夫【政治家】 田 英夫 政治家

 

 

ニュースキャスターの草分け的存在で元社会党参院議員の田英夫、呼吸不全のため東京都港区の病院で13日 (2009年11月) 死去、86歳。

1923年東京・世田谷生まれ。43年学徒出陣し、45年海軍震洋特攻隊員で終戦。
47年東京大学経済学部卒業、共同通信社入社。社会部長などをへて、62年TBSニュースキャスター第1号となる 。64年共同通信社を退社し、TBS入社。68年自民党の圧力でニュースキャスターを解任される。

70年TBSを退職し、日本社会党に入党。71年参議院全国区でトップ当選。75年「新しい流れの会」を結成、77年離党。78年社会民主連合を結成し、代表となる。97年土井たか子党首の社会民主党に復帰。01年議員引退。当時の土井たか子党首らの説得を受け入れて比例代表から出馬したが落選し、03年繰り上げ当選。07年参院選には立候補せず引退。
(bohyo.blog84)

 

 

 

政治活動[編集]

1971年6月、日本社会党から第9回参院選の全国区に立候補して192万票を獲得しトップ当選した(いわゆるタレント候補)。

当選間もないころ、通商産業大臣を務めていた田中角栄のもとを陳情で訪れた際に封筒を持たされ、その中身は100万円の裏金だったことを、後にオフレコ扱いで政治評論家の岩見隆夫に告白。岩見は田の死後、その事実を発表した[7]。

1972年に発生したあさま山荘事件の直後に連合赤軍について述べ「赤軍派を非難する声があるが、幕末明治維新を御覧なさい。正義のための殺人もあれば暗殺もある。水戸の天狗党は維新に先駆けて決起し結局幕府のために死刑になったが、全ては歴史が審判する」と赤軍派擁護の発言を行い、後に批判されることとなる。

横路孝弘らとともに「新しい流れの会」を結成し党改革を目指していたが1977年、中道の結集を目指して離党した[3]。

社会党時代は穏健な社会民主主義者として知られ、社会主義協会とは激しく対立した。1977年に党改革が不十分であることを理由に社会党を離党。その後、社会党を除名された。西欧型の社会民主主義路線を掲げる社会民主連合を結成した。
(wikipedia)

 

 

 

 

 

 

 

 

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