最近観た日本映画で衝撃的だったのは、何と言っても、ここで何度も書いた園子温監督の「恋の罪」である。
こんなにも衝撃を受けた映画はあまりない。
その映画の中に出てくる、とても重要なキーワードがある。
「城」という言葉だ。
渋谷円山町で起こった残虐極まりない殺人事件の現場に大きく書かれていた文字、それが「城」という文字。
そして、映画の中でこの「城」というキーワードは何度か繰り返されてゆく。
カフカの書いた小説「城」が引用されるのである。
映画を観た後―その映画「恋の罪」を観たのは名古屋の映画館だったので数日後ということになるけど―、家に帰ってから早速本棚を漁ってカフカの著作を探してみた。
ところが、カフカの本は「変身」、「流刑地にて」、「田舎医者」、「断食芸人」などしかなく、長編の「城」は見当たらなかった。
あれ? そういえば俺、まだ「城」っていう小説読んでなかったっけ?
すぐに青森駅前にある「ラビナ」4階の本屋さんに行って、新潮文庫でカフカの「城」を買って来た。何とか時間を見つけてすぐに読まないと・・・。
ということで、今話題の(まあ、単なる個人的なマイブームですが)カフカに関する本を別の本屋さんで見つけたので、そっちのほうを先に読んでしまった。
「絶望名人 カフカの人生論」(頭木弘樹著)という、カフカの箴言を幾つか拾い集めた本である。
もちろん、カフカ自身、人生における箴言を書き溜めていたのでも、そういうメッセージを後世に向けて発信しようとしていたわけでもない。
カフカは41歳の誕生日の1カ月前に、この世を去っている。
結核だった。吐血もしている。
一度も結婚せず、子どもも残さず、ほとんど無名のままで、この世界から消えていった。
世紀の傑作と言われる小説「変身」も、当時の文壇では完全に無視され、彼は失意のまま死んでいったのである。
カフカは、仕事が死ぬほど嫌いだった。
生活のための仕事が、夢の実現を邪魔するものと考え、「ぼくの勤めは、ぼくにとって耐えがたいものだ」と嘆き苦しみ、「会社の廊下で、毎朝絶望に襲われる」と絶望した。
カフカは、将来に絶望し、世の中に絶望し、自分の肉体に絶望し、そういう自分の心の弱さに絶望し、親にも学校にも仕事にも結婚することにも夢にも人づきあいにも絶望した。
ありとあらゆることに絶望し、厭になり、苦痛で、耐えられなくなって、毎日毎晩、身悶えた。
「絶望名人 カフカの人生論」(頭木弘樹著)には、それらの数限りない「絶望」が書き綴られている。
分かりやすくてシンプルな文章が、彼が恋人や友人や父親に宛てた手紙の中から抜粋されてゆく。
あっぱれ。
ここまで来ると、もはや清々しささえ感じてしまう。
凄いよ、カフカ!
なんか、自分自身を見ているような気がしてくる。
それは別に、自分自身がカフカと同じ才能と文才があるなどと、そんな馬鹿げた恐れ多いことを言っているのでは決してない。
そういうレベルのことではなく、自分を取り巻く、その対象となる物事や事象に対して悩み、そして絶望する姿に対して共鳴し、まるで自分を見ているようだと言っているのである。
愛しささえ覚えるのだ、こんなカフカに対して。
「生きて堕ちよ」と叫んだのは坂口安吾だけれど、ひとは結局、生きて堕ちるのだ。堕ちて、堕ちて、堕ちてゆくのだ、誰もみな。最後には。
この本を読んで、言いようのない「力」のようなものが湧き上がって来た。
カフカって途轍もなく優しいひとのような気がしてくる。
この本は、ある意味「バイブル」と呼べるかもしれない。
これからも、様々な節目の中で、何度も何度も読み返さないと・・・。
こんなにも衝撃を受けた映画はあまりない。
その映画の中に出てくる、とても重要なキーワードがある。
「城」という言葉だ。
渋谷円山町で起こった残虐極まりない殺人事件の現場に大きく書かれていた文字、それが「城」という文字。
そして、映画の中でこの「城」というキーワードは何度か繰り返されてゆく。
カフカの書いた小説「城」が引用されるのである。
映画を観た後―その映画「恋の罪」を観たのは名古屋の映画館だったので数日後ということになるけど―、家に帰ってから早速本棚を漁ってカフカの著作を探してみた。
ところが、カフカの本は「変身」、「流刑地にて」、「田舎医者」、「断食芸人」などしかなく、長編の「城」は見当たらなかった。
あれ? そういえば俺、まだ「城」っていう小説読んでなかったっけ?
すぐに青森駅前にある「ラビナ」4階の本屋さんに行って、新潮文庫でカフカの「城」を買って来た。何とか時間を見つけてすぐに読まないと・・・。
ということで、今話題の(まあ、単なる個人的なマイブームですが)カフカに関する本を別の本屋さんで見つけたので、そっちのほうを先に読んでしまった。
「絶望名人 カフカの人生論」(頭木弘樹著)という、カフカの箴言を幾つか拾い集めた本である。
もちろん、カフカ自身、人生における箴言を書き溜めていたのでも、そういうメッセージを後世に向けて発信しようとしていたわけでもない。
カフカは41歳の誕生日の1カ月前に、この世を去っている。
結核だった。吐血もしている。
一度も結婚せず、子どもも残さず、ほとんど無名のままで、この世界から消えていった。
世紀の傑作と言われる小説「変身」も、当時の文壇では完全に無視され、彼は失意のまま死んでいったのである。
カフカは、仕事が死ぬほど嫌いだった。
生活のための仕事が、夢の実現を邪魔するものと考え、「ぼくの勤めは、ぼくにとって耐えがたいものだ」と嘆き苦しみ、「会社の廊下で、毎朝絶望に襲われる」と絶望した。
カフカは、将来に絶望し、世の中に絶望し、自分の肉体に絶望し、そういう自分の心の弱さに絶望し、親にも学校にも仕事にも結婚することにも夢にも人づきあいにも絶望した。
ありとあらゆることに絶望し、厭になり、苦痛で、耐えられなくなって、毎日毎晩、身悶えた。
「絶望名人 カフカの人生論」(頭木弘樹著)には、それらの数限りない「絶望」が書き綴られている。
分かりやすくてシンプルな文章が、彼が恋人や友人や父親に宛てた手紙の中から抜粋されてゆく。
あっぱれ。
ここまで来ると、もはや清々しささえ感じてしまう。
凄いよ、カフカ!
なんか、自分自身を見ているような気がしてくる。
それは別に、自分自身がカフカと同じ才能と文才があるなどと、そんな馬鹿げた恐れ多いことを言っているのでは決してない。
そういうレベルのことではなく、自分を取り巻く、その対象となる物事や事象に対して悩み、そして絶望する姿に対して共鳴し、まるで自分を見ているようだと言っているのである。
愛しささえ覚えるのだ、こんなカフカに対して。
「生きて堕ちよ」と叫んだのは坂口安吾だけれど、ひとは結局、生きて堕ちるのだ。堕ちて、堕ちて、堕ちてゆくのだ、誰もみな。最後には。
この本を読んで、言いようのない「力」のようなものが湧き上がって来た。
カフカって途轍もなく優しいひとのような気がしてくる。
この本は、ある意味「バイブル」と呼べるかもしれない。
これからも、様々な節目の中で、何度も何度も読み返さないと・・・。