日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

奇跡を数える

2017-05-05 09:06:32 | 日記
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」ローマ12:15




時々今までの生き様を考えます。子供の頃や青年の頃を覚え、何と難義なヤツだったなと。確かに親の育て方、また環境が多く影響するのを確信します。田舎で屋敷といっても狭い所ですが、牛がいて、鶏がいました。医学や衛生も悪い。栄養も悪い。腸炎?ノロウイルスだったか?よく子供が亡くなりました。



私は母が結婚後10年目に生まれた子を無くし、その4年後に生まれたのです。当時は後継を重視し、私まで死なせたらそれが無くなる訳です。また人は罪ですね。その悲劇を待つのです。特に親戚でした。醜いですね。



死なせまいと母は私に一杯服を着せ、くしゃみしても心配し、直ぐ医者。おのずと私は体だけは数段神経質になりました。子供ながらに絶えず「死」を意識。小学生の時、これも自律神経過敏と思いますが、長く走ったり、大地震の時に気絶したのが3回。心臓がどきどきして目まいがするのです。



これが自律神経と解ったのは医者に言われた為でなくネットをするようになって検索して解ったのです。医者は脳貧血の診断でした。またパニック症候群?これも医者でなくネットで調べ、うん?よく風邪もひいたし、自分は多分心臓が悪いと思い込み、ドキドキすれば死ぬのでは!と。青年になっても目まいがよくあったのです。何と弱い自分だろうと、、、



40才にキリスト者になり、その10年後にやっとそのフラフラドキドキが収まりました。その他は至って呑気な人間なんです。何故治ったかといいますと、死んでもクリスチャンは天国へ行けると解ったので気楽になったのです。かなりこれは大きな比重があります。医者に心臓が悪いと診察された訳ではないのに、長い思い込みでした。心電図では心臓が悪いと言われたらどうしよう、と思えドキドキが始まるのです。そうすれば「少しの異常」と出て来ます。フラフラがなおれば、「正常です。」と。

本当に難義な人間でした。



また30年らい、アレルギー?なのか乳製品を食べると駄目。京都の大先生に診察してもらったら、今の薬以上のものはないと。仕方なく辛抱していました。海外も諦め、用心するしかないです。大先生も高齢になられ、宇治市の内科へ。ある日、乳製品のアレルギーの様です。と言えば「整腸剤を出しましょうか。」といわれお願いしますと。何と困った症状はすっかりなくなりました。腸の過敏だったのです。



この整腸剤のお陰で難関なイスラエルへ行けました。何という奇跡。私は小さい時から心臓が悪い。腸が悪いでは何処へも行けない。まして海外でまた難関のイスラエルなんて!!運動も嫌いであまりしない。こんな自分が飛行機は平気、階段の上がり下がりの多い、大変なハードな国へよく行けたものです。若い人には負けますが、よく帰って来れた。今では私の体、普通の健康なんだと思えるのです。我が人生で奇跡が一杯です。

弱さを覚えたからこそ神を求め、救いに預かった訳ですから、これも感謝でした。

上の言葉
美しい言葉です。名筆の書にして、飾っておくには最適ではないでしょうか。しかし、これを実行せよと言われると、不可能です。一見、出来そうに思われますが、「喜ぶ者と共に喜ぶ」ことすら、本当にそれが出来るか問われるなら、喜ぶ者を妬み、うらやむことしか出来ません。一方、「泣く者」と共に泣くことも困難です。共に喜び泣くことの出来る方はイエス様以外にありません。一歩でも、半歩でも、主に倣う者となるために、祈りつつ力をいただきましょう。(KE)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする