日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

宇治田原の高原

2015-11-29 08:58:42 | 日記
あなたのなすべき事を主にゆだねよ、そうすれば、あなたの計るところは必ず成る。(箴言16:3)



21日の9時頃、霧はもう沢山とばかりに遅く宇治田原へ出かけました。今回は唯一高原と言われる高尾高原です。ここにも柿はあって、比較的高い方の山ですから趣が違うと思いまして。秋のものが一杯ですね。



寒桜?冬桜?1度伊豆の平地で見たことはありますが、この場所で見かけます。なかなか質素でいいです。



山の紅葉は遅いですが、ススキ等秋のものは満載ある所です。



山は本当に空気が良く、京都や大阪が見え、気持ちがいいです。だからこの高原も宇治田原では好きな所です。



この辺りは高尾集落があって、昔、武士が逃げ住ついたと言われています。今もこんな高い場所から通学や通勤もなされているのでしょう。シニアの御夫婦が、観光でしょうか。登ってられました。私はいつもスーと車で。楽してます。

上の言葉
(日常心配したり、思い煩ったりしますが、どうしても案が湧かない時あります。今日の事は今日の事として、主にお任せして明日の事は明日に任せしましょう。)





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頂いた一冊の歌画集

2015-11-27 13:55:19 | 日記
あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。(ヤコブの手紙1:5)



急に初冬になりましたが、真冬の様な厳しさではないので楽な気はします。
先日友達から北小路成子さんの歌画集を頂きました。まず目を見はったのは、添えてある自由画らしいですが、可愛く素直でその絵の方に惹かれました。文才のない私は詩は好きですが、和歌は興味が無くパスと思ってました。難しい言葉が入り解りにくい部分が入ります。。



2度目を読めば、その情景や色彩この人の心情も解って来て、アレーと興味。



北小路成子さんのプロフイール。。。連続TV小説の「花子とアン」で花子の親友であった白蓮さんは、10代の時に、子爵北大路家に嫁ぐ。そこで生まれたのが北大路巧光氏。その人の4番目の奥様が成子さん。白蓮さんも3度の結婚。2度目はお家の為に九州の大実業家。大恋愛で若い青年と結婚し二人のお子さんがおられるはず。



白蓮さんは美人で有名ですが歌人。巧光氏も受け継がれた様です。成子さんはその影響で、また多才な人で、書道、香導、絵画、和歌を究められた。その其々の著書も多い。



その成子さんが宇治にお住まいで、何と私が好んで散歩写真を撮っている極近くなんです!平等院の反対側で、散歩道の傍は高台になり、それを登れば閑静な大きなお家が集まってますが、そこにお住まいとか。
下には宇治川の清流、春には塔の島や川の両岸に桜が咲き見事でしょう。私は下ばかり見てますが。
文才があればさらさらと詩か和歌を作りたい衝動にかられる時がありますから、絶好の地にお住まいです。



奥には山があり、自然豊かで野草も咲いています。また源氏物語の宇治十帖である浮舟の舞台が丁度この辺からでしょうか?90才で一人住まいとか。



写真だけでもこの辺りを究めたいですが、気力ナシかな。



香道なんて見たこともないですし、違った世界をかいま見て通じる面もあり、未知の世界ではありますが、心安らぐ楽しいものを頂きました。

上の言葉
(この世の知恵は人間の考えた知恵。これは時代と共に変化します。いつの世も変らぬ知恵は神を信じ、祈り求めれば与えられます。その知恵こそ最も大切な知恵なんです。)

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白椿

2015-11-23 09:13:20 | 日記
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ  3:16 )



先日、母の実家の後継者の従姉妹の喪中ハガキが届きました。何と100歳だったのです。長岡京市の古い家ですが、家族葬でさせてもらったとのこと。心ばかりの物を送ったら電話で直継で、子供、孫、で分家にも知らせてないとのこと。今は本当に楽になりました。大勢来てもらっても同じ。



私は前にも書きました通り、母と長兄との年齢は17才も違い、そして私は結婚後14年の子ですから、ややこしい。長兄は分家して、次兄が後を継いだのです。(母屋)男子がいなくて長女が継いで100歳まで。晩年は足が悪くなりホームでした。大人しい穏やかな人でした。最後までボケないで、スーと枯れ葉が落ちる様に召されたとか。分家の叔父も30年前97歳で召され、入院したら、当時は97歳は珍しく、色んな人がどんなお爺さんか?と見に来たとか。「まあ、カイラシイおじいさんですね。」と言って帰られたとか。我が母は96歳ですが、ボケボケでした。でも年だけは、、、長生きですが、別に長生きが幸いでもないです、、



実家は長岡京市の山裾でしょうか?今ではもっと山の奥まで住宅地になり、何と御陵の傍まで建っています。京阪神の交通の便がよく、阪急等が以前は開きました。JRもあり、通勤に本当に便利です。高速も近い。それに山手で閑静ですから大人気。でもその実家の一角だけは今も昔のまま残っています。後ろが藪で近所も屋敷が広いので、実にノンビリ。よく母と行った思い出が蘇ります。



山裾の御陵に墓があり、よく墓参りに行ったものでした。山ですからそこに山野草が生え
今なら写真に撮るのですが、これまた尚なお長閑です。山の空気を一杯吸って、そうだ!宇治市も見えたのでした。だから私は山が好きなのでしょうか。棚田や農家がポツリ、ポツリとありましたっけ。



世が変るってこのことですね。でも前向きに生きましょう。
写真は今、庭に咲いている白椿です。

上の言葉
(十字架はイエスの愛の象徴です。世界中にあるこの十字架。でもその意味は、本当に理解が難しいかも。まずイエスを信じないと解らないですが。信じた人のみ永遠の命が頂けます。だから死も希望です。喜びです。
従姉妹は100歳でしたが、残念ながら永遠の命はありません。)、

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野の道

2015-11-23 09:13:20 | 日記
あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。(イザヤ書30:20~21)



宇治田原の奥へ行きました。期待した柿は余り無かったですが、他は畑の隅にコスモスが植わっていました。手入れもされず、野の花と同じでしょうか。素朴なのもまたヨシ。





間もなく冬なのにまだコスモスが咲いているとは健気ですね。可愛いものです。







公園の様に手入れされてないですから、美しいのをピックアップするのが大変。



平地ですが、遠くの山を見るのは心安らぎます。







道べのごしゃごしゃの花ですが、強く生きています。



宇治田原の今回の章は終わりです。また20日に霧の無い時刻に行きましたので、また掲載したいです。

上の言葉
(神の霊は我々の回り、いたるところにいて下さるのです。それに気がつく人が誠に少ない。心の罪が邪魔をするので見えないのです。神様はいつも私達の心の扉をトントンとたたいて下さってるのに。一旦信じた人にはそれが解り、神がそらこの道だ、こちらだ、と導いて下さるのです。素直にした這えばの話ですが。)

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今年の紅葉は遅いですね。

2015-11-21 13:25:14 | 日記
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩篇119篇71節)





16日に、もうそろそろ木々が染まって、モミジも綺麗かもと宇治植物公園へ向かいましたが、月曜は休みだという事を忘れてました。しまった!それで宇治川縁の銀杏が美しいのを思い出し、そこへ向かいました。しか~し葉っぱ殆ど散ってます。ガッカリ!そこで興聖寺のお庭でも秋を見つけようと探しましたが、なかなか秋色を見つけるのも難しいです。まだ紅葉は皆無。例年なら少し美しくなる頃ですが、、、北国の紅葉は早かったのに待ち人来たらずです。











落ち葉が少し赤くなり見つかると嬉しい!まるで知らない珍しい山野草を見つけた様。





隣りの東禅寺へ少し入らせて頂きました。玄関前の小さな庭に南天の赤さや大きな木の根っこがあって、
それが印象的でした。古いのでしょう。





宇治川へ下れば少し木の黄葉が見られ、川の清い流れに癒されました。

上の言葉
(お証、、、私は何故クリスチャンになったのだろう?切っ掛け皆さん違いますが、母の環境子育てが
かなり影響がある様です。結婚後10年で男の子が生まれたのですが、昔の医学が進まない世の中。間もなく
亡くしました。朝ドラを見てもお家継の必要な時代。その頃もそんな時代だったのです。私はその4年後に生まれ、母はかなり心配ばかりして育てたのでしょう。容易に想像出来ます。クシャミしても心配!私も同じく心配です。
自分は死ぬのでは!?そんな思いで、幼児から青年へと。だから健康と〟「死」は私には背中合せでした。弱くて、、、鶏小屋と牛小屋が同じ庭にある農家でしたから、当時の衛生、栄養、医学が想像出来ます。おまけに戦後の飢餓の時代!どうにか死なずに来れたのは神の恵みでしょう。ところが43再から農業を止めてから、元気になりました。その後余り風邪もひかなくなりました。時に喉が痛みますが。奇跡的に主は私を強めて下さいました。今思えばパニック症候群だったかも?ねっとで調べたらよく似てます。医者からは言われた事はありませんが。私は心臓が弱いと思い込んでました。これも医者からは言われてないです。

必然的に、弱さを充分感じながら生きて来ました。今ではあなたは元気だ!と医者に言われる始末。あの弱い自分が。何か奇跡的な自分がいます。)






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