日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

水仙

2017-01-22 08:46:44 | 日記
「わたしに賜わったもろもろの恵みについて、どうして主に報いることができようか。」詩篇116:12



水仙がよく咲いているこの頃、良い香りがしますね。特に日本水仙は清楚で目立たず好きな花の一つです。これは宇治植ですが、宇治川沿いの恵心院にも多く植わっています。





この花もなかなかこっちを向いてくれない。花は太陽を向く習性があるのでしょうか。





間もなく海外へ旅に出ます。といっても8日間です。5度めの海外ですが、今までとは全く違う状況、地形、歴史の国で、殆どの方がどうして行くの!?とびっくりされます。生きるも死も神の御手の中。我が国籍は天にありです。

時差もあって半月程、ブログをお休みしますが、よろしくお願い致します。

上の言葉̪
 私達は気がつかないうちに自分の力、知恵、努力、計画によって、今生きていると錯覚しがちです。確かに、見たところ、そのように思われますが、見えている事の背後に神様の愛の手があり、恵みがあります。それを忘れるとき、人は高慢になり、感謝を忘れ、命を失います。絶えず心を低くして、神様の前にへりくだって、感謝したいものです。それによって、さらなる主の祝福と恵みを受けることができます。(KE)

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蝋梅

2017-01-21 09:38:58 | 日記
「先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。」伝道1:9



半月前の宇治植物公園には蝋梅が盛かんに咲いていました。蝋梅、、、花の少ない時期に咲きますから喜ばしいですが、写真にとるのは私には難しいです。花が皆下を向いているので、顏が見難い。難しい事です。



もう早梅も咲きだしたとか。この寒さが過ぎれば春が来るのですね。



蝋梅は春を告げる花かもしれません。



昨夜はトランプ大統領の就任式を少し見ていました。不安が多く、期待も少し。どうなるか?歴史は繰り返すのでしょうね。



我々は今生かされている。様々な状態で生かされている。自然は人と違い美しい。主の造られた自然は何と愛しいのでしょう。

上の言葉
「歴史は繰り返される」と言われます。人の世に新しいと言われるものは、外見はどうであれ、過去にあったものです。また、人が考えてすることは、どんなに奇抜なものであっても、同じ轍をたどって、同じことのくりかえしにすぎません。それは人が神様になりえない証拠です。なぜなら、神様は人の思い、知識を越えた全く新しいことをすることが出来るからです。(KE)

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庭の雪

2017-01-20 08:33:10 | 日記
「そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。」マタイ7:17



もう20日なんですね。早いものです。15日の雪の庭が珍しくてUPしました。雪はめったに会えないですから。



植物もびっくりしてるでしょうね。



千両は雪が着けばやはり違って雰囲気がいいです。





シクラメンは弱弱しい花の様ですが、強いです。





雪の化粧して庭の花も生き生きしてるでしょうか。





近所の椿を外からパチリさせて頂きました。

上の言葉
この言葉に先立って、「その実によって彼らを見わけるであろう」とあります。「実」とは結果です。どんなに立派なことを言っても、それに伴う結果がなければ「見かけだおし」です。信仰生活も同じで、みことばを信じて、具体的に歩まなければ、ただ「絵に描いた餅」にすぎません。ぶどうの木(良い木)であるイエス様につながっている限り、必ず良い実を結びます。それ以外の木につながるなら、悪い実しか結べません。(KE)

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雪模様

2017-01-19 10:58:07 | 日記
「すると彼は言った、『あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです』。」ヨハネ9:25



寒いですね。言わずにおこうと思ってもつい口に出ます。こんな寒い時期に近い内に旅に出る予定ですが、不思議です。





15日の宇治市に積もった雪で塔の島ですが、見ても寒いですね。



こんな雪の日ですが影があるものです。



雪の手毬状が面白くてパチリ。



ドンドンと太鼓の音がしていて、なんだろう、と思って見ればイベントの様です。



いづこもイベントが多いです。私が知らないだけで宇治市も神社仏閣が多いので、追いかけたら一杯あるかも?



再びこの場面へ。どうやら雪降りが強くなった様子です。



強くなれば雪玉が出来るので面白いです。

上の言葉
イエス様から目が見えるように癒してもらった人の証言です。彼は自分の身に起ったことを通してイエス様を知りました。人が何かを知るにはいろんな方法があります。今は情報過多の時代です。どんな情報であっても、自分の実体験に勝るものはありません。殊にイエス様を知り、神様を知るには直接見て、聞いて、触る、体験することです。(KE)

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朝霧橋より

2017-01-18 13:36:20 | 日記
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。」詩篇19:1



長い朝霧橋へ来ました。流石に通る人も少なく、周囲を見てもモノトーンの世界。



興聖寺に通じる橋は赤いはずですが、雪の為に黄色にみえます。



JRも私鉄も少々の遅れはありますが、この日は動いていて良かったです。



限られた時間を有効に。なかなか難しいです。雪は直ぐ解けますから、パチパチと。



宇治橋もいつも車が多いですがこの日は人も車も見えません。

昨日の家庭集会は、主に頼らず、自分の悟りに頼ってるのでは?よく考えたら日々の行動は殆ど御言葉ではなく、自分の意思でやってたかも?そして本当に困った時に、御言葉が示され、そうだ神様にお任せしようとして落ち着いていた気がします。難義な者です。後で皆で近況を言ったりして長話になりました。交わりが満つになり感謝でした。

上の言葉
神様の存在をどのように証明するか、との議論は古来から続いています。しかし、どんなに議論や思考を重ねても、決して結論はでません。ただ、私達は身辺に溢れる森羅万象を通して、神様が存在するとしか言えない現象を経験的に知るからです。科学万能の時代に、神様など胡散臭いと思われますが、むしろ科学の世界ほど神秘に満ち、神様の存在を確信させるものはありません。(KE)

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