自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

ホトトギスとウグイス~民主主義を破壊する安倍政権

2015-08-01 13:07:31 | 憲法を考える
 目には青葉 山郭公(ホトトギス) 初松魚(カツオ) は芭蕉とも親しかった山口素堂俳句で、初夏の季節感を視覚・聴覚・味覚でとらえた句として有名である。また、唱歌「夏はきぬ」の「卯の花の 匂う垣根に 時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ」意味も分からず大好きで歌っていたのを思い出す。

 ホトトギスとカッコウは渡り鳥で形もよく似ていて鳴き声が印象的であり、清少納言も夜にホトトギスの初音を聞くのを楽しみにしていたそうだが、「ホトトギスが鳴くから田植えをしなくてはならない」と農民が歌うのを苦々しく思う点で貴族と庶民の感性の違いも感じる。

 ホトトギスの鳴き声は仲間と対話しているようで賢そうに聞こえる。鳴かぬホトトギスを信長は「殺してしまえ」、秀吉は「鳴かせてみせよう」、家康は「鳴くまで待とう」と言ったという有名な話(平戸藩主松浦静山の随筆「甲子夜話」)があるのは、美しい鳴き声だけを問題にして、何を語っているのかは考えなかったのであろう。一方、正岡子規は喀血した自身の姿を鳴いて血を吐くホトトギスと重ね、ホトトギスの漢字表記の「子規」を自分の俳号とした。

 ところが、ホトトギスにはウグイスが生んだ卵を巣から落として、自分の卵をウグイスの巣に産み付けて、これをウグイスに一生懸命育てさせるという生態、ホトトギスとウグイスの寄生的繁殖者と犠牲者 (2)の関係もあるそうだ。このホトトギスとウグイスの関係は万葉集にも詠われている。なお、カッコウも托卵の習性があり、最近の研究によると習性の進化は20~30年と非常に早いそうだ。

 「ホトトギスの産み落とした卵」は戦後の「民主主義」の教科書にも紹介されている。文部省著作教科書「民主主義」のブログからその部分を紹介しよう。
 「ワイマール憲法のもとでのドイツは、どこの国にもひけを取らないりっぱな民主国家であった。ところが、国会の中にたくさんの政党ができ、それが互に勢力を争っているうちに、ドイツ国民はだんだんと議会政治に飽きて来た。どっちつかずのふらふらした政党政治の代わりに、一つの方向にまっしぐらに国民を引っ張って行く、強い政治力が現われることを望むようになった。そこへ出現したのがナチス党である。初めはわずか7名しかなかまがいなかったといわれるナチス党は、たちまちのうちに国民の中に人気を博し、1933年1月の総選挙の結果、とうとうドイツ国会の第一党となった。かくて内閣を組織したヒトラーは、国会の多数決を利用して、政府に行政権のみならず立法権をも与える法律を制定させた。政府が立法権を握ってしまえば、どんな政治でも思う力ままに行うことができる。議会は無用の長物と化する。ドイツは完全な独裁主義の国となって、国民はヒトラーの宣伝とナチス党の弾圧との下に、まっしぐらに戦争へ、そうして、まっしぐらに破滅へとかり立てられて行ったのである。
 動物の世界にも、それによく似た現象がある。すなわち、ほととぎすという鳥は、自分で巣を作らないで、うぐいすの巣に卵を生みつける。うぐいすの母親は、それと自分の生んだ卵とを差別しないで暖める。ところが、ほととぎすの卵はうぐいすの卵よりも孵化日数が短い。だから、ほととぎすの卵の方が先にひなになり、だんだんと大きくなってその巣を独占し、うぐいすの卵を巣の外に押し出して、地面に落してみんなこわしてしまう。
 多数を占めた政党に、無分別に権力を与える民主主義は、愚かなうぐいすの母親と同じことである。そこを利用して、独裁主義のほととぎすが、民主政治の巣ともいうべき国会の中に卵を生みつける。そうして、初めのうちはおとなしくしているが、一たび多数を制すると、たちまち正体を現わし、すべての反対党を追い払って、国会を独占してしまう。民主主義はいっぺんにこわれて、独裁主義だけがのさばることになる。ドイツの場合は、まさにそうであった。こういうことが再び繰り返されないとは限らない。民主国家の国民は、民主政治にもそういう落し穴があることを、十分に注意してかかる必要がある。」

 なお、教科書「民主主義」についてはブログ「竹林乃方丈庵」にも下記の通り紹介され、民主主義を破壊する安倍政権の問題点について論じられているので熟読していただきたい。

教科書「民主主義」①第一章 民主主義の本質
教科書「民主主義」②多数決と言論の自由
教科書「民主主義」③第十一章 民主主義と独裁主義
文部省著作教科書「民主主義」の復刻版
教科書「民主主義」④第十一章 民主主義と独裁主義
教科書「民主主義」⑤第十一章 民主主義と独裁主義
教科書「民主主義」⑥第三章 民主主義の諸制度
教科書「民主主義」⑦第一二章 日本における民主主義の歴史
教科書「民主主義」⑧第十二章 日本における民主主義の歴史
教科書「民主主義」⑨第十七章 民主主義のもたらすもの
教科書「民主主義」⑩第十七章 民主主義のもたらすもの
教科書「民主主義」⑪第十七章 民主主義のもたらすもの 

 戦後70年、日本は単なる経済的格差社会から2世、3世議員を政治的核にした国民主権から国民支配に変貌する危機にある。ナチスに学べと言った麻生大臣の言葉「昭和27年(1952年)4月28日(12歳の時)に初めて靖国神社に連れて行かれた(参拝した)。昔は静かに行っていた。何時から騒ぎ出したんですか。マスコミですよ。だから静かにやろうや。ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に替わっていた。誰も気がつかないで替わったんだ。あの手口を学んだらどうかね。」の裏に、幼少の頃より我々とは住む世界、見える世界が違うことが伺える。

 なお、教科書「民主主義」は1948年から1953年まで中1と高3に使われた。なぜ、「民主主義」を教えないで、安倍首相の祖父(元A級戦犯)岸信介の内閣(昭32. 2.25~昭35. 7.19)は昭和33年の教育課程の改訂で道徳教育を始めたのか。教科書に対する国の検定制度を採用しているのは、サミット参加国のなかでは日本だけだそだが、今では「憲法9条」の条文がない社会科教科書さえあるという。

 安倍首相は1954年9月21日生まれ、麻生副総理は1940年9月20日生まれで、いずれも教科書「民主主義」を知らない世代だ。開戦時にアメリカにいた鶴見俊輔(1922年6月25日生まれ)小田実(1932年6月2日生まれ)とともに反戦平和の市民運動の先頭に立ち、20歳で終戦を迎えた三島由紀夫(1925年1月14日生まれ)は身に染まった皇国史観で割腹自殺をした。カッコウだけではなく人の習性も育った時代、環境、年齢によって大きく影響されるのだろう。

 民主主義 - 文部省著作教科書で育った大江健三郎(1935年1月31日生まれ)安倍首相を厳しく非難し、高橋源一郎(1951年1月1日生まれ)は、民主主義──文部省著作教科書に「圧倒された。これは教科書以上のものであり、また『論』以上のものである」と感激している。

さらに教科書「民主主義」は以下のように多くの紹介がある。
『文部省著作教科書 民主主義』
文部省著作教科書『民主主義』(径書房)
文部省教科書 民主主義
『民主主義』が説く民主主義とは(江川紹子)


参考:
解釈改憲は“クーデター”…安倍首相を米誌が批判
安倍政権の憲法上のクーデターに対して日本国民が闘っている|英インデペンデント紙
ワイマール憲法下でなぜナチス独裁が実現したのか

初稿 2015.8.1 更新 2018.9.8

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1 コメント

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Unknown (竹林泉水)
2015-08-01 14:43:32
今の安倍政治の在り方、本当にホトトギスの卵そのものです、さらに、自分こそが民主主義だと装っているに等しい、政治の進め方です。おそらく本人は自分こそ、民主主義の政治を行っているのだと思っている、そのことはさらにたちが悪いといます。
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