史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

玉東 二股

2015年04月23日 | 熊本県
(西南役官軍砲兵陣地阯)


西南役官軍砲兵陣地阯

 二股地区には、西南戦争時の官軍関係の史跡が残されている。
瓜生田官軍砲台跡は、田原坂砲撃の為に設置された野戦砲台跡である。上木葉の本営から毎日大砲が運び込まれていたという。近年の発掘調査で、大砲の轍の跡が確認されたという。

(西南役官軍本営出張所阯)


西南役官軍本営出張所阯

田原坂本道攻めに苦戦した政府軍は、三月七日仮本営(本営出張所)を二俣村に置いた。そして薩軍左翼が布陣する横平山方面に進撃を始めた。このころから薩軍は、弾薬欠乏の為か火力の勢いが衰えるようになった。しかし昼夜を問わない激しい抜刀攻撃が二俣の政府軍を苦しめたという。

(西南役官軍砲兵陣地趾)


西南役官軍砲兵陣地趾

官軍古閑砲台跡は、七本攻撃の為に政府軍が設置した野戦砲台跡である。地元では今でも「台場(だいば=砲台)」と呼ばれている。現在の果樹園となる以前から平らな土地で、政府軍砲兵が台場のために整地したものが、今もあまり変わらない形で残っていると考えられる。近年の発掘調査では、大砲の発火剤である摩擦管(まさつかん)が多く発見されており、砲台跡であったことを裏付けている。

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