史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

別府 Ⅱ

2022年07月16日 | 大分県

(流川四丁目)

 

伊能忠敬測量史蹟

 

 別府市の繁華街の中、流川四丁目の交差点の南東の角に大理石製の伊能忠敬測量史蹟碑がある。伊能忠敬一行は文化七年(1810)二月十に日に別府村を訪れている。測量日記には「この村家毎に温泉多し」と記録されている。

 

(芝尾市営墓地)

 

法名 釋退来(灘亀こと永井亀吉の墓)

 

 灘亀の墓を訪ねて芝尾市営墓地を歩いた。墓地の上の方にあると思いこみ、上の方ばかりを探したが、実は意外と手前にあった。あまり先入観をもって探さないことだ。

 灘亀こと永井亀吉は、幕末別府の港で男たちを束ねた侠客である。

 長州藩士井上聞多は、藩内で開国を進言したことから反対派に襲撃されて瀕死の重傷を負った。奇跡的に命を取り留めた後、刀傷を癒やすため別府の旅館に隠遁した。この時に、現在の別府市楠町にあった楠温泉で全所持金を盗まれ、一時は灘亀の子分となった。明治後、政府で外相、内相、蔵相などを歴任し重鎮となった井上は、明治四十四年(1911)、四十六年ぶりに別府を再訪し、共同墓地に眠る灘亀のために立派な墓を建て替えた。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 九重 | トップ | 大分 Ⅱ »

コメントを投稿

大分県」カテゴリの最新記事