目
次から次へと曲を作ったり、ブログをUPしているので、正直、先日作った曲名すら「死」に何か付いていたぐらいしか思い出せない。だから、こうやってピアノの練習し始めたが、パソコンに確認しに戻った。「死は平等」でした。
今日はブログのタイトルは「目」です。前置きが長かったようですが、音楽科高校受験の為に神戸の先生に師事していた頃、駄目な生徒と思われていたようだが、私は確かに、’ここに行く!’と心に決めたので、不安な気持ちを抱えつつ、電車で母に連れられて、レッスンに通っていた。涙の日々だった。地獄に落ちてゆく感じが本当にしていたのである。シカゴ留学中にも感じた地底から地響きがする恐怖だった。1小節も弾けなくなったのである。半年前は2曲ずつ、さらさら弾けて〇もらっていたのに、自分が急に阿保になったと思った。
母が電車の席の向かいに座っている私を見て「智子の眼がキラキラしていた」と「ものすごく、きれいな目をしていた」と言った。私は自分の目は、きれいな子の目のようには、きれいではないと思っていたから、’うそ~’ 母は「ほんまや!」
母は毅然と自信に満ちた声で言った。私は「この音楽科高校受験の道は間違っていない」と母が太鼓判を押した励ましの声に聞こえた。
私は幼児の頃はひとえ瞼だった。兄はくりっとした目で「お兄さんと変わったたら良かったのに」といつも言われていたので、そこで念力をかけた。「兄のような二重瞼になりますように!」どうして、こんな念力をかけたかと言うと、時々、疲れたら、片目だけ二重瞼になる事があったから、もしかして願いが叶うかもしれないと思ったからだ。
小学校6年生の頃、目出度く二重瞼になった。4年生頃から、私は父に連れられて会社に行くと、「きれいな子」だと、みんなから言われるようになっていた。
だから、あまり自分の目は好きではない。大きい瞳でも、黒い瞳でもない。それに子供の頃から、練習は2,3回どころか、弾き始めたかと思うと、やめてしまう。勉強も直感とテスト前だけ勉強する感じで、実は怠け者で、他人の悪口だけは得意の巻きだった。だから白目もいつしか黄色くなってバッチイかった。だから、こんなに他人からやり込められたのだと思う。
でも、だれかイルミナティか何かが、私たち一家に強烈な呪いをかけていたのがわかる。危機を感じた時、自然に回避している自分がわかるからだ。だから、誰かに、しっかり守られている感じもしていた。
今日、CDを聞きながら手鏡で自分の目を見ていた。瞳は茶色いが、茶色なりに、きれいに光っていた。顔に調和していた。白目もきれいだった。こんなに努力し続けて、ようやく、母があの時言った目に戻れたと思った。
今日は起きてから、サラダを食べた。そしてコーンとツナのピザパンを食べました。
雨ばかりで、2,3日、家でのんびりしたい。