Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

六道地蔵尊

2005-08-06 11:05:50 | 民俗学
 8月6日といえば、広島に原爆が落とされたことでしられているが、最近では、その日と知らない人も多いという。
 同じ日、長野県伊那市の天竜川左岸の段丘上にある六道の辻には、霊迎え(精霊迎え)の人たちが集う。かつては原っぱの中にあった六道の辻は、現在は水田地帯の中に森がぽつんと目立つ。その森の中に六道地蔵尊がまつられている。6日未明から霊迎えに近在から訪れる。昔は北は塩尻、南は飯田あたりからも霊迎えに訪れたといわれるが、現在は北は辰野、南は駒ヶ根あたりまでの範囲という。とくに新盆の家では必ず六道へお参りし、仏様を迎えたものという。昔は新盆から3年間は六道へお参りしたというが、今は1年だけという人がほとんどのようである。そして、六道の森の松の枝をおしょり(折って)、この松の枝に仏様を乗せて家へ迎えたという。現在では、松の木が大きくなってしまい、枝を折るような松がなくなってしまったが、お札と松の枝に白紙を巻いたものを売っていて、それを買い求めていく。ほぼ午前中には参拝者はなくなるが、昔は一日中賑わったもので、夕方になると、若い衆が集まり、境内で盆踊りが行われたという。このときうたわれた唄がエーヨー節というもので、「たむらからきて ありゃこのさわぎ おゆるしください おむらかた サ ヨーイソレ」「たむら若ししゅう よくきてくれた さぞやぬれつら エーヨー まめの葉で」というものであった。
 同じようにとくに新盆の際、精霊迎えに特別な寺を訪れる風習は各地にある。穂高町牧にある満願寺も8月9日に精霊迎えが行われ、近在から宗派、檀家という枠を超えて人々が集まる。六道の辻といえば、もっとも知られているのは、京都六波羅の六道さんである。正式には珍皇寺のことで、このお寺は六波羅密寺の近くにある。ふだん訪れても人影はなく、京都にあっては大変さびしい寺であるが、8月8日から10日の六道参りには、大勢の人が訪れるという(わたしは六道参りの時期に訪れたことはなく、ふだんのさびしい寺しか知らない)。この六道参りには、京都市内はもとより、京都以外の地域からも先祖を迎える人々が訪れるという。訪れる人々は、高野槇の葉を買い求め、次に本堂前で水塔婆と呼ばれる塔婆を買い、そこに迎える先祖の名を記入してもらう。そして本堂横にある迎え鐘をつき、水塔婆を石地蔵前の水の入った木箱に納め、上から高野槇で水を注ぐ。これを水回向といい、この高野槇を持って家へ帰るもので、高野槇に先祖が乗って家へ帰るという。伊那市六道地蔵尊の松の枝と同じ意味を持つ。
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