Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

続〝なんだかなー〟と思う時

2016-12-01 23:58:32 | ひとから学ぶ

「〝なんだかなー〟と思う時」より

 あるセブンイレブンの午後6時代。このエリアでは最も広いと思われる駐車場を持つこの店は、店の周囲の駐車スペースは満杯になる。「なんで」と思うのはもうやめた。もはやこの時間帯であってもコンビニはなくてはならない存在になっている。とりわけコンビニの駐車場がいっぱいになるのは、お昼の時間帯。この時間帯にコンビニに寄ると、やはり駐車場がいっぱい。ところが店の中に入ると意外に人影が少ない。なぜ駐車場がいっぱいかというと、ここに駐車して昼をとっているひとが多いということ。店の前から車を移動して食事をとれば良いのだが、多くのひとが停めた場所で食べ始める。だからこの時間帯には店の入口から遠いところに停めざるを得ないことになる。今どきのコンビニの弁当を利用する人々は、コンビニの店の前で食事をとることがまったく気にならないようだ。わたしもときおりコンビニの弁当など利用して昼にすることはあるが、コンビニの駐車場で済ませることは、よほどのこと(街中で時間がない時)がない限りありえない。農村部ならいくらでも車を停めて食事をとる場所はある。もちろん今でもそうして駐車スペースを求めると、先客のあることは当たり前にあるが。

 ということで、コンビニの昼の光景はこんな感じで、とりわけ弁当を求めた客によって席巻される光景は従来の姿だった。そして冒頭で触れた午後6時代、ここぞとばかりに駐車場がいっぱいになるが、もちろん昼どきとは違ってここに停めて食事をしているわけではない。店に入るとひとがいっぱい。昼どきと外見は同じなのに、明らかに内容が異なる。何といっても買い物カゴを手にして買いいる客の多いこと。そしてそれが主婦らしき人たちだということ。彼女たちはレジに並ぶと世間話を始める。かつてコンビニを昔の〝一銭店〟と言ったが、まさにその光景なのだ。そもそもコンビニには買い物カゴは置かれているが、スーパーと違って実際カゴを持って買う客は少ない。コンビニはその時必要なものだけを買う、いわゆる小物買いがほとんど。これもまた〝一銭店〟らしい感じ。ところが買い物カゴを持った客が目立つこの時間帯は、ちょっと異質。「あんたたちはちゃんとした食料品店に行かないのか」と思うのは、そうした主婦らしき人たちが、惣菜をあさっている姿を目にするときだ。確かにセブンイレブンの惣菜はそこらのスーパー惣菜りも〝美味しい〟かもしれない。しかしながらこの安易さには〝なんだかなー〟。

 コンビニでコーヒーを始めたのは大きな変化の時だった。大きくはないが惣菜に力を入れ始めた時も、それまでの利用目的に変化が及んだ時だった。ときどきにおいていろいろな変化をしてきたコンビニは、今後も驚くようなことを始める可能性はあるのだろう。こんなこともあった。昼間のお客が比較的少ない時間帯、目立つのはお年寄りの男性だ。彼らにとってもこの空間は身近な〝一銭店〟となっていると思った。しかしながら、そこで交わされる店員とお年寄りの会話に、本当の意味での〝一銭店〟の香りはしなかった。コンビニがどう進むのか、この関係に緒がありそう。


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