Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

わが駅の散らかりよう

2009-05-20 19:01:27 | つぶやき
 関西への修学旅行が中止され、新幹線が空っぽで東京をから大阪まで走るというニュースを聞いた。運営している方にとってみれば大きな痛手なのだろうが、集団で行動する団体といえば今やそのまま学生というイメージをたてられる。現場直行のこの日、駅にやってきた電車はいつもと1時間違いである。こんな時間だから空いていると思うのだが、考えてみればわたしが通勤で目的の駅に着く時間とほぼ同じ。ということは最も混雑している時間帯と言えるのかもしれない。その通りやってきた電車は満員である。ただし、わたしの乗車する駅が最寄の高校がある。ということでここでその満員状態が解消されることは容易に解る。停車して約1分。ようやく高校生たちが下車した。2両編成の電車に残ったのはわずか2人だけである。見事に一掃された車内は、いきなり平日の真昼間の様相に変わった。さながら高校生たちの貸切専用列車という具合だ。1時間前の風景もさほど変わらないほどこの駅で高校生が下車するが、これほどの車内の景色変化はない。そして下車した彼らは、そして彼女らは、1時間前と同様にだらだらと学校に向かって乱れた姿を、しかもどことなく列を成していく。ほぼ平均的にどこの学校よりも姿に乱れを感じ取る。そして平均的に「あの高校にだけは行きたくない」と言われる所以となる。

 この日、駅の構内への誘導路に入って行くおばあさんを前方に見かけた。わたしの乗る電車に乗るかと思いきや構内のホーム移動用の踏切を渡って反対側に歩いていった。無人駅の構内は電車に乗るためにだけではなく、歩道として利用される。そんな一場面である。おばあさんは構内に散らかっていた空き缶をおもむろに蹴飛ばしたかと思うと、メイン通りから脇へと蹴りやった。次にはパンでも包んでいたのであろうビニールをまた蹴っている。わが道に散らばるゴミが目障りだったに違いない。それらのゴミがもちろんのこと、この駅を利用している高校生の捨て散らかしたものであることはいうまでもない。散らかっているゴミが日々違うところを見ると、誰かが拾っている。清掃活動をしている同じ高校の生徒の業なのか、それとも近隣の人たちの業なのかは知らない。いずれにしても毎日利用している者として、少しはこうした活動をしなくてはならないのでは?、などと思わざるをえないほど、今や駅構内を小奇麗にしてくれる集団はない。



 晴れ上がった車窓から望める中央アルプスの山々には、さまざまな雪形が現れる季節である。窓の開かなくなった電車から窓越しにそれを捉えるのも簡単ではない。この時間帯は窓に反射するものもなく比較的は思うように撮れるものなのだが、そう思って構えるものの、窓を流れていく線路際の建物を避け、また線路に沿って垂れ下がっている電線を避けているとなかなかこれも思うようにいかないものなのである。ようやく南駒ケ岳の摺窪鉢カールに五人坊主の姿が見え始めてきたこのごろである。

 撮影 2009.5.20

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