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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ため池慣行のムラ⑩

2011-11-16 19:44:25 | 民俗学

ため池慣行のムラ⑨より

 実はここで触れているため池には車を横付けすることはできない。したがって工事をするにも仮設で作業道を開けないと仕事にならないわけである。後々のことを考えればそこそこの管理道路も設けておきたいのが受益者の思いであるが、前回も触れたようにそこには民地という条件が立ちはだかる。耕作放棄してあっても人の土地であることに限りはないのである。この工事をきっかけに、ため池受益者は権利関係をあらためて確認することになる。ふだんの維持管理をしているだけではそのようなことを意識することはないのだが、公なことをするということはこうした問題を解決しなくてはならい。そして負担も支払わなくてはならないわけで、あらためて負担をするべく人数の確認もされる。かつて9名の地権者が受益者として存在していたが、減少をして日ごろの管理は4名のみ。かつて最も多くの土地を所有していた地主も、今はその名を連ねない。果たしてその後の権利者は誰なのかというところ、そして負担をしてくれるのかというところもここで再確認がされる。多くを所有していたKさんの土地は売られたという話で調べてみると、借り受けた方が耕作をしようという話も聞こえた。確認すると負担をしてくれるということにもなった。

 もっとも厄介だったのは、やはり進入路の問題だった。進入路兼新たな放水路敷ということになったわけであるが、これは買収するということで進められた。買収登記面積は工事後に測量という手はずで進められたが、記録にはこう記されている。「Aさんからあんなに土地がつぶれるとは思わなかった」というクレームである。そもそもこのAさんの水田は耕作されていない上にため池の受益者ではない。しかし、工事を理由にいわゆるため池の余水を水田に利用することができる口を作ってほしいというのだ。それも完成後のクレームだったため、記録にはさらに「うまく田に入れるように道を作ってくれれば土地代など請求しなかったと今になって言う。どうもAさんは気の変わる人で対応に苦労をする」とまで残っている。記録には「3月の下旬誰だかわからんが役所に苗代ができんで早く工事をしてほしい、水が通るようにとの電話をする。工事請負者が3人とんでくる。現耕作者は苗代づくりには工事と関係ないはず。パイプであるので水を引けぬということはない」といった具合に工事をしていることに対しての不満なのか、部外者の眼がさまざまに飛び交う。どうも工事も年度末を過ぎて遅れていたようだ。平成7年度に行なわれた防災工事に関わる買収地の精算は負担の問題や地権者との調整など平成10年まで引きずることになる。平成10年、この工事を中心的に進めた受益者のYさんの記録が残る。「12月27日に現場説明をして杭を打って貰いやっと地主さんも納得して貰いましたのでもその夜土地代金を持って行って来ました。快く受け取って頂きました。12月28日区長のところへI氏から頂いた酒を持ってお礼に行ってきました。平成7年から始めた仕事もやっと終わり胸を撫で下ろしているところです。受益者皆様のご協力有り難うございました。」というものである。Iさんから頂いた酒とは、Iさんがもう田んぼは作らないといって水利権を放棄すると申し出た際のもの。3年がかりの事業の間に、負担の重さから将来を選択された方も出たわけである。たった数人で管理しているものの、地域にとっては存在の大きなため池。そんな現実の間を右往左往して、あらためて受益者がいろいろに考えをめぐらした時だったと思われる。

 続く


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