Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

防風林のこと(前編)

2017-02-16 23:07:08 | 信州・信濃・長野県

拡大図

 

 図は今から20年前、平成9年にある会で発表する際に作成したもの。まとめたものを発表する予定だったが、御蔵入りした図である。

 実は我が家から北を望むと、隣家を覆うように防風林が母屋を隠している。北を望んで防風林があるということは、南風を防ぐように防風林が作られたということになる。これに違和感を覚えたのは、生家ではまったく反対側に防風林があったからだ。その名のとおり風を防ぐ意味で作られる。生け垣を伸ばして防風林とするわけだが、北側の生け垣は日当たりが悪いために、防風林にまで仕立てるには時間と養生が必要だ。我が家でも北側に防風林というわけではないが生垣を植えたが、家に接近していることもあってなかなか伸びず、20年も経つというのになかなか大きくならない。日当たりだけではないのだろう、その伸びの悪さは。防風林については「家形の防風林」というものを10年前に記している。この事例も南側に防風林を配置していて、その際にも記したが、これでは日当たりが悪くてしょうがないのでは、と思ったものだ。それだけ南風が強いのかもしれないが、何と言っても日当たりの悪い家の方がいろいろ支障があるはず。もしかしたら正確には南側ではなく西南の防風林、ようは西日を遮るためのものだったのかもしれない。

 図は下伊那郡松川町上片桐大沢南部、大沢北部自治会エリアを対象にしたものだった。ここに土地利用がわかるようにしないといけなかったのかもしれないが、この地域は図の上部、いわゆる大沢北部側は水田がそこそこあって、下部の大沢南部側は果樹がほとんどである。このエリアで気がつくのは土蔵を持つ家が少ないということ。その理由は古い家が少ないということからくるのだろう。開拓されたのが遅かった地域と言える。すでに20年も経過しているため、現在とは宅地内の配置が異なっている家もあるだろうし、無住の家もある程度あるだろう。一般的に母屋以外の付属の建物は日当たりの関係から北側あるいは西側に配置するもので、この地域もその傾向は図を見るとわかる。とはいえ、付属の建物もかなり少ない地域といえる。そして母屋の向きは南北に長い家が多いように、南東を意識して構えている。これらも日当たりを重視したものということになるだろう。このエリアには古い時代の本棟造りの家は皆無で、昭和50年前後に一時的に本棟造り風の建築が流行ったのか、その時代に新築された本棟造り系の家がよく見られる。

 特徴的なのは生け垣である。生け垣というとそれほど背丈の高いものという印象を受けるので防風林といった方が正しいかも知れない。図に示した生け垣がすべて防風林というわけではないが、明らかに棟より高く伸ばした生け垣が存在し、とりわけ注目されるのは図の左下あたりの道沿いに連続している生け垣である。道を挟んだ南側は果樹園地帯となっていることから、防風林と言えなくもないが、実際は消毒除けの生け垣である。あえて南側に高く伸ばした生け垣を配置するのは、明らかに消毒を防護するために作られたものと言える。前述したように、この地域は果樹に特化した地域とまでは言えないため、図に明快な消毒除けの生け垣を目の当たりにすることはできないが、果樹園地帯特有の防風林を垣間見ることができる。

 もうひとつこの図で見ておかなくてはならないのは、竹やぶの存在である。ようは竹やぶがほとんどないということ。竹は値が伸びていく厄介なものだけに、むやみに植えることはないが、筍という副産物を得るために伊那谷南部では少なくない植生である。そしてそれらを屋敷に隣接して生やしている光景も少なくないのだが、このエリアにはそれがとても少ないのである。

続く


コメント    この記事についてブログを書く
« 懲りずに〝柊〟 | トップ | 防風林のこと(後編) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

信州・信濃・長野県」カテゴリの最新記事