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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

北陸新幹線へ

2009-05-06 17:31:41 | 歴史から学ぶ
 地域の表記というのもいろいろ思惑があってさまざまなのだが、たとえば昨日の信濃毎日新聞の「焦点」で特集されていた新幹線の名称も思惑が交錯する例であることは確かである。もともと北陸新幹線建設促進で進んでいた現在の長野新幹線は、オリンピックという一つの目標があってどちらかというと運よく開通した新幹線である。オリンピックがなかったら10年は必ず遅れていたはず。整備新幹線の凍結もあって果たして実現に向けてどれほどの負担が強いられたかもわからない。これもまた南北格差を語るときの歴史と言えるのだろうが、現在の長野近辺の交通事情は、新幹線によるところが大きい。開通当初「北陸新幹線」とは呼ばずにとりあえずみたいに「長野行き新幹線」と呼ばれていた。これが整備新幹線凍結という話がなかったら、途中開業でもおそらく北陸新幹線と呼ばれていただろう。運よく開通して、運よく先々が見えなかったからその後「長野新幹線」と統一された。

 そして北陸新幹線は2014年度というから5年後には金沢まで開通する。長野商議所会頭は上越を取り込んで「長野北陸新幹線」実現を求めていくと言う。運よくというのは誤解があるかもしれないが、たまたま現在の「長野新幹線」呼称が実現したが呼称がどれほど経済的に意味があるのかこと新幹線に至ってはまったく理解できない。すでに長野新幹線の存在は、長野まで新幹線で行けることを承知させている。ここでその名称が消えたとしてもその事実は何も変わりはしないし、だからといって新幹線そのもののイメージが長野から離れるわけではない。あえて言うならもともと実現に向けて協力してきた、そして協力してくれた北陸圏域への感謝の意味も含めて単純でイメージしやすい「北陸新幹線」に変えてもなんら不満はないのではないだろうか。現在フル規格で走っている新幹線の完成形に一地域の名称をあてた路線は一つもない。こういう主張が強いては活発化する中央リニアの議論にも影響する。さすがに「田舎モノ」と言われても田舎モノだから仕方ないが、「通過駅にならないか」と危惧している関係者には流通という面でいかなる姿がベストなのか解っていないのではないだろうか。ただでさえ信越本線が途切れてしまった以降、鉄道便の不利益を被ってきた富山や石川の人たちが、再び長野というところが親しく見えてくるよい機会と捉えられないだろうか。もっと言えばこのまま整備が続けられれば更なる延伸もあるわけで、たとえば大阪までつながっても使える名称といえばやはり「北陸新幹線」ではないだろうか。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2009-07-08 22:39:00
信越本線が途切れても富山石川の連中が不便など被っていない。
そもそも並行在来線の複線扱いなのが新幹線なのに、信越線が並行在来線の新幹線を北陸新幹線と呼ぼうとした時点で起こるべくして起きた問題といえる。信越本線沿線と北陸線沿線で新幹線の名称が異なる方が当然。
長野新幹線が妥当なのかどうかはともかく、既開業区間を北陸新幹線に統一する必要性は無いと思う。
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どうでしょう (trx_45)
2009-07-09 19:49:16
一本化されない名称って利用する人たちにとっては紛らわしいと思いますが・・・。「連中」というあたりがいいですね。北信の方でしょうか。
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