Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

文化財と堰

2017-07-28 23:28:39 | つぶやき

 ある土地改良区より明治年代に完成して現在は利用していない堰について、文化財の指定にできないかという要望書があげられた。ふだん農業用水路に関わっているとともに、文化財行政にも少しばかり関わっている者として、意外なものが文化財の舞台に登場してきたという印象を持った。管理団体より文化財に、という要望がある場合、対象物を保存するにあたって金銭的な援助をして欲しいという意図が大きい。実はこの背景は行政によって受け止め方は大きく異なる。

 半年ほど前のこと、生まれた町のある民家を訪れた際に、古そうな民家であるもののあまり手が加えられず現在も使われていることが分かって、これほどの民家であっても行政から文化財として何らかのアプローチがなかったのか、思わず家人に聞いてしまったもの。嫁いだ娘さんが介護のためにその家に出入りされているようだったが、娘さん曰く「こんな家すぐにでも壊してしまいたい」というものだった。この家で生まれて育ったが、良い記憶は無いようだ。それだけに世代が変われば消滅してしまいそうで、文化財として残そうという意図が行政にはないのだろうか、そんなことを考えたもの。ところがかつてこの町の文化財行政にもかかわられていた方に内情を聞くと、やはり財政的な面で個人的所有物に対して文化財指定を行って保護していくことは難しいという話を聞いた。わたしのかかわっている市とは行政のスタンスがまったく違うのである。致し方ないことと分かっていても、いっぽうでは他方でまったく相手にしないようなものまで文化財の対象として検討している。その落差がとても気になったのである。そして今回の農業用水路の話。誰がどうその価値を評価するのか、そういうところにも影響するが、例えば今回の事例に対して、ふだんこうした施設に視線を当てていなかった人たちにとっては、新鮮味があって、先人の苦労という面だけでも文化財として取り上げたい気分にさせる。しかしこうした施設に関わってきたわたしには、同様の施設が県内にはたくさんあることを知っている。もし希少性という視線なら、まったく珍しいものではない。もちろん利用していないという現状から、遺構がしだいに劣化して朽ちていってしまうことは容易に解る。いずれこうした遺構が消える時がくると分かっていれば、保存することも必要なのだろうが、とはいえ文化財という枠に入れるにはいろいろ問題が多い。とりわけ歴史のある堰を、という土地改良区の意図だったようであるが、その中でも隧道に対して保存して欲しいという意図が汲み取れたという。隧道ともなれば、当時のものは小断面のもので、現在の土木技術では抵抗感のある施設で、容易に補修ができる環境にはない。もし落盤があったとき、その補修費は安くないし、もっといえば安全面から現実的に補修不能という答えが出る可能性も高い。そうした物件に文化財の冠を預けるのは他に例がないというあたりも勘案して、答えは出しにくいということになる。

 こうした物件が文化財の舞台に登場する時代になったということ、そしてどうそれを扱っていくのかということも含め、農業水利施設に業務上かかわっているわたしへの課題かもしれない。


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