Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

現代の道祖神③

2012-01-06 23:49:07 | 民俗学

 窪田雅之氏は『道祖神研究』第5号(道祖神研究会)へ「長野県筑摩野・安曇野における新たな神々の登場―新しい道祖神碑建立の動向と背景ー」と題して論文を掲載している。道祖神が姿形からして魅力的なイメージを作り上げているのは承知のとおりであり、長野県のみにならず全国に特徴的な道祖神を遺してきている。とくに道祖神の盛んな地域として長野県、とりわけ安曇野などを中心にその存在が知られるところになったのはテレビドラマなどによる影響も大きい。窪田氏も捉えているように昭和50年にNHK朝の連続テレビ小説「水色の時」のインパクトは大きかったといえ、安曇野が今のような人気を博すようになる走りだったのではないだろうか。そして昨年放映された「おひさま」、同じく道祖神が背景に描かれた場面は何度となく放映された。もはや安曇野の象徴的風景に道祖神が欠かせない存在になっているとも言える。こうした映像としてのインパクトに加え、男女神が仲むつまじく寄り添う姿に、「癒し」や和合をイメージさせ、平和の象徴的なものとして信仰とは別世界でその存在を認めてきたわけである。こうした捉えかたはは現代の特徴的な造立を後押ししてきたといえる。現代の石仏石神といって目につくのは、交通死亡事故のあった場所に建てられるお地蔵さんであるが、それに次いで目につくのが道祖神なのかもしれない。ここでは「道祖神」と「神」をつけて捉えるが、それは神ではなく消長的なモノなのかもしれない。石神というからには信仰の対象とされて当然なのだが、現代の道祖神には「神」とは必ずしも言えないものも多いのだろう。

 窪田氏はこの中で新しく造立された道祖神の背景について事例報告をしている。ひとつは共同体によって建立されたもので、それらは①古くなった道祖神の代替として建立する、②新たにできた集落の拠り所として建立する、③公共事業など公共的施設のシンボルとして建立する、といったものが主とされる。①はこれまでの歴史の中でもくり返されてきたものであり、②はかつてなら地域の神社建立に進むのだろうが、神社は簡単に作ることはできないわけで、そういう意味では拠り所として造り易い存在に道祖神があると言える。③は行政も地域も道祖神を地域イメージ化されたものの象徴として捉えている証拠でもある。②の背景に「神」としての意識があるかどうかは微妙だが、おそらく建立と同時に魂入れのような儀式が行なわれているだろうから、神様として崇められていることだろう。しかし、背景の原点には神様というよりは人々の心の拠り所、そして人々が集まるための象徴的なもの、そんな捉え方があったはずで、必ずしも神様ではなくても良かったと言える。もちろん「道祖神」と呼ばれる以上神様としての意味も持ち合わせ、つまるところ「神」である方が人々に受け入れられ易い存在なのかもしれない。信仰の自由が叫ばれるものの、現実的にはただの物体よりも神様である方がより象徴的な存在になりうるというわけである。そして民間信仰であるが故、どんな信仰を持ち合わせている人にも受け入れ易いというわけである。

 続く

 

現代の道祖神②


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