Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

現代の道祖神④

2012-01-10 20:55:34 | 民俗学

 窪田雅之氏は新たに造立された道祖神の背景について、共同体で造立されたものとは別の個人で造立されるケースについても言及している(「長野県筑摩野・安曇野における新たな神々の登場―新しい道祖神碑建立の動向と背景ー」『道祖神研究』第5号)。ここで紹介されている事例すべてが「神」として造立したケースではなく、路傍の彫刻の如き捉え方といった方が正しいだろう。ただ前回も触れたように、一応「道祖神」と称していることから設置された場所によっては、あるいは設置したあとにその存在を「神」として捉えるようになっているケースは珍しくないのだろう。例えば自宅の庭に設置した安曇野市穂高塚原のKさんは、「この像を見ていると心が落ち着く」、あるいは「奥さんは庭の像に馴染めなかったが、現在は像容のように夫婦喧嘩せずに暮らしたいと思うようになった」という。そこには「神」としての意識はないものの、願いを込めるという意味では象徴的なものとなっている。ただの石ではなく、こちらの願いを返してくれるような存在、それが和合を示す像容なのだろう。

 そもそも道祖神という知名度も高く、その像容の認知度も高い存在を記憶していれば、こうした像を前にするとすべて「道祖神」と捉えてしまいがちである。もちろんここでいう現代の道祖神はそうした意図の上に建てられているものがほとんどなのだろうが、以前紹介した高森町の旧三州街道沿いに建つ双体像について聞き取りをした際、これは「道祖神」ですか、とはっきりと確認しなかった。わたしの先入観が「道祖神」と判断してしまっていて、それが本当に道祖神なのかどうなのかを詳細に聞き取ることを前段にしなかったのである。こちらが「道祖神」として話を切り出すと、すでに「道祖神でいいさ」みたいな雰囲気が建てられた方とわたしの間に広がっていた。「道祖神ではない」と拒まれない以上、それは道祖神として受け止めてしまうのが、現代の道祖神らしき像の宿命なのである。そして実際に聞き取りを行なってみると、その趣旨はいわゆる現代の個人建立の道祖神と共通するわけであるが、建立者のこころの中では「道祖神」でなければならない、というこだわりはなかったように思う。「道祖神」のメジャー化が双体で像を造れば「道祖神」という捉え方を常識化してしまったとも言える。そして例えば「神」ではなくモニュメントとして建てられたものもを「道祖神」と称している場合、それらも総て「道祖神」として括ってしまうかもしれないが、本来の道祖神とは明らかに異なるのも事実であり、念頭におかなければならないわけである。道祖神の建立数をカウントしたとき、果たして現代に建てられているものも含めてどこまで計上してよいものかについては難しい問題である。もともと多様な姿形を見せる道祖神の中には、たとえば自然石で松焼きの際に投げ入れられてしまうようなものもあった。道祖神場に無造作に転がっている小さな石の中にも、道祖神として捉えられるものもあるのが実態である。これほど多様性を帯びた存在だからこそ、現代の多種多様なものもすべて道祖神として捉えるべきだというのが民俗学的意識かもしれないが、モニュメント的なものも含めて「道祖神」として計上することにはいささか疑問が残るのである。

 続く

現代の道祖神③


コメント    この記事についてブログを書く
« 最近の「おくやみ欄」から | トップ | 竹やぶ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事