Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

“今ではお目にかかれないモノ”15

2016-03-19 23:32:22 | つぶやき

“今ではお目にかかれないモノ”14より

浄土寺山より

 

浄土寺 不動明王磨崖仏

 

千光寺 梵字岩

 

 旧因島市について触れたところで、今回は本家「尾道市」について見てみよう。もちろんここに紹介するパンフレットはまだ因島市と合併する以前の尾道市である。パンフレットには「昭和56年11月1日現在」と記されている。手に入れたのは翌年の9月のこと。ほかに「尾道古寺めぐり」というものも手に入れたが、いずれのイラストマップも実測図も山を上にした構図でで、そのままほぼ北向きとなる。正確に言うと、海岸線を平行にしているから北北西を上にしているということになるだろうか。ほぼ北に山があるから違和感もなく受け入れる構図にある地域、それが南側に海を置く地域だ。ようは太平洋側の地域は、自然と北が上になり、そして山も上になる。ということで、この空間意識は日本海側の地域でトライしてみないと解らない。

 尾道市は昭和59年8月17日に初めて訪れた。夏の瀬戸内海は暑い。その暑さの中、エアコンもついていない車で尾道を訪れた。亡くなられた京都の知人と尾道駅で待ち合わせた。何といっても浄土寺山から眺めた尾道の町は輝いていた。わたしのホームページに、尾道のことを次のように記している。

坂の町”尾道”は、
多くの人々に愛されました。
確かに坂の町をイメージさせる暮らしが、
そこかしこに残り、
私も何度か訪れました。

この浄土寺の裏山は、
千光寺山にくらべると知られていませんが、
ここから見る尾道がもっとも美しいと思っています。

浄土寺とは谷を隔てた反対側にある千光寺は、裏山にある千光寺公園までロープウェイが掛かる。車道も開いていて誰でも容易に登ることができるが、浄土寺の裏山は自ら歩いて登らなくてはならない。途中に不動明王の高さ4メートルもある大きな磨崖仏があり、頂上には奥の院がある。

 パンフレットはB6版で、表紙の裏は折込になっていて、そこにイラストマップが印刷されている。後半4ページ分は「メモ」用の白紙ページが付されている。「尾道」といえば知られた町であるが、それほど力を入れたモノではなかった。何度でも訪れてみたいマチであるが、平成13年ころ訪れて以降訪れていない。

続く

 


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