Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

消えた村をもう一度②

2006-06-21 07:55:30 | 農村環境
 上越と中越の境にある東頚城郡松之山町は、長野県の北端にある下水内郡栄村と隣接している。平成17年4月1日に新設合併によって十日町市、松代町、松之山町、川西町、中里村が合併して新十日町市となった。合併時の人口が3096人という。栄村と背中合わせという立地は、自ずと豪雪地という印象がある。栄村の野々海池は、飯山市と栄村、そして松之山町の境界から少し栄村側におりた所にある。野々海池へ平滝から上る道を若いころに何度も走った。栄村の中心になる森からも上る道があって、よくきのこを採りに上ったものである。天然のナメコを採ったりしたもので、本当に大昔の記憶である。ここ何10年も行ったことがないのでずいぶん様子が変わっていることだろう。野々海池周辺は原生のブナの木が生えている。よく先輩がこの野々海池のあたりへ竹の子採りに行っていたようで、迷うことがよくあったという。とくに野々海池から西側の方へ入ると、慣れていてもどこにいるか解らなくなるということを聞いた。

 わたしが松之山町を訪れた際は、この野々海池から林道を通って松之山町側へ下りて入った。松之山温泉で知られている町であったが、人口規模でもわかるように、かつては町制が敷けるだけの人口があったものの、過疎化により減少したようである。昭和55年12月20日発行のパンフレットの表紙からもうかがえるだろうが、当時の観光パンフレットとしては、垢抜けているパンフレットである。内容を見ると、「祭と野鳥」という大きな見出しがあり、両者を強調している。祭りとは、小正月に行なわれるムコ投げという行事がよく知られている。正月の飾り焼く際に行なわれる行事で、一度訪れたいと思っていたが実現しなかった。

 では、何を目的に訪れたかというと、十日町市鉢にある石仏を訪れたいと思って松之山町を経由したものである。この松之山町のパンフレットにも片隅に百体庚申と子安峰の三十三観音の写真が掲載されているが、それらの石仏を見ながら鉢へ向ったと記憶している。鉢まで行くにはずいぶん遠回りではあるが、松之山町に興味を持っていたことも事実で、当時の松之山町の棚田風景は、長野県内のどこよりも美しかったという記憶もある。

 松之山町から十日町までのルートは、わたしの印象では津南町を経由していく道が一般的であったように記憶する。おそらく道路の距離では十日町市の中心まで20キロ以上あるのではないだろうか。上越と中越の境界にあって、今までどちらともつかない扱い方を受けてきたこの地域は、今は中越地域となる。

 ブナ林の写真は、昭和58年7月10日に野々海池の近くで撮影したものである。ずいぶん古いフィルムから読み取ったから今一かもしれないが雰囲気で・・・。



 消えた村をもう一度①

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