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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

男と女

2010-01-26 12:35:28 | ひとから学ぶ
 自治会の年度末が近づくと、次年度役員を決める人たちにとっては少しばかり頭の痛いこともあるだろう。男女共同参画といわれて久しいが、現実的には阻むことが多い。しかし、最近は自治会の役員にも女性をという声は聞こえる。しかし、その発端になかなか役が決まらないという悩みがあったりしても不思議ではない。むしろ役員をしたくないと思えばそれを口実に女性へという発言が生じかねない。ようは男性の逃げ言葉となる。わたしの住む地域を例にとってみれば、確かに男性が自治会の役員になっているが、実際は「その奥さん」と言う役割が少なからずある。独り身でも担うことはあるが、必ず「その奥さん」の役をどなたかが代わって担ったり、もちろん本人が務めることもある。自治会長ともなれば夫婦それぞれがいろいろな場面で助け合わなければ「勤まらない」とまでは言わないがそういう雰囲気がある。例えば最近多くなった女性独り身の世帯へ役を回さないという暗黙の了解もできる。逆に言えば男性独り身の世帯で役を負うことはあるが、女性だけの世帯には負担を掛けさせないという意図がある。これは自治会ばかりでなく、例えばPTAとか公民館活動などもかつてはそうだったが、最近はどうだろう、自治会ほど負担が大きくないから男性でなくてはならないという役もなくなってきているはず。もちろん自治会だってやりたいと思う女性がてればその境遇は関係なく、周辺で反対する人はいない時代になった。にもかかわらずちまたでは男女共同という言葉が流れ、もっと女性に門戸を広げるようにと言うが、無理にそうしているわけではないはず。いろいろな事情を汲み取れば、男性が引き受けた方がいろいろが丸く収まるということだろうか。「その考えを正さなくてはいけない」と指摘を受けるだろうが、むしろそういう意識が地域秩序を維持してきたようにも思える。

 まったく別な話であるが、会社でトイレに行くたびに思うことがある。トイレの掃除をするのは女性ばかり。男性の姿も見たことはあるが、男性ばかりだったら問題がある。ようは女性トイレに男性がいて掃除をしていたら、かなり女性にとっては嫌なはず。同じことは銭湯とか温泉の中に入ってくる雑用の人たち。女性の風呂場に男性が入ってくるだけで多くの人は違和感を持つだろう。もちろんこれまでの長い経験がそうさせることで、男性の世界に女性が入ってくることが不思議でないと思うようになったように女性が捕らえれば不思議なことではないが、これは明らかにその場の調和をもたらす経験の成す事象ではないだろうか。同じようなことはいろいろな面にあって、これまでの男女の歴史は、女性には受け入れがたいものの、男性には受け入れられるもの、という現実を作り上げてきたはず。

 時代は女性蔑視という時代ではない。むしろ自治会など旧来男性が担ってきた部分を男性から剥奪することで、より一層男性たちは自分だけのことをして、世間との調和機能や人との交流という苦手な部分をさらに低下させてしまい、男性がまったくの無能な人間になってしまうことが危惧されないだろうか。

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