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小菅の柱松行事から ④

2016-07-24 23:16:09 | 民俗学

小菅の柱松行事から ③より

 いよいよ柱松行事(柱松柴燈神事)の始まりである。

 柱は祭場の南側に東西に2本立つ。東側を上の柱、西側を下の柱としている。前段の行列が祭場へ入り御旅所に詣る際に、すでに柱には若衆がそれぞれの柱に3人上って神事の始まりを待つ。柱には白木の棒が3本突き出ているのだが、この棒に若衆はまたがって待つのである。千鳥に3本ある棒は上側に2本、下に1本突き出ている。上2本にまたがる若衆は松神子が上った際に松神子の補助をするわけで、一人をフキヤク、もう一人をヒウチという。下側の棒にまたがるのはナカヤクと言い、松神子を柱の上へ上げる際の介添え人となる。

 お旅所に詣り終えた松神子が仲取に手を繋がれ斎場に戻ると、柱と相向かいになるように祭場の北側にある講堂前に横並びに整列する。すると青龍刀旗の立つ柱側から太鼓を左肩に担ぎ、右手に赤い布で覆われたバチを持つ「松太鼓」(くねり山伏)が祭場中央にある「松石」に向かって前進を始める。ゆるやかに一歩ずつ六方を踏みながら進み「松石」の上に上ると太鼓を叩く所作をするのだが、すぐには叩かない。打つぞ打つぞとおかしな動きをして、わざと打ち損なう所作をして観客を笑わすのである。このころになると松神子はダキヤクと言われる若衆2人に抱き抱えられ、太鼓が打たれたら競って柱に向かおうと準備をする。松神子には縄が繋がっていて、その先には和紙にくるまれたヒウチガネがついている。これをもう1人の若衆が持つ。

 いよいよ松太鼓によって太鼓が打たれると、松神子を抱いたダキヤクなど3人の若衆が柱松に向かって突進し、柱に上って待っていたナカヤクを中継して松神子を柱松の上へ引き上げると、上で待っていたヒウチとフキヤクは、松神子が持ってきたヒウチガネを使って火をつけようと火打ちを始めるのである。これがなかなか火がつかない。練習を事前にしているというが、しばらく火打ちを打っているが点かないのである。周囲では「もうヒウチガネがなくなって点かない」などいう声も聞こえるなか、心配そうに観客が見守る中、10分ほど経過しただろうか、下の柱から煙が上がった。尾花に移された火が煙を上げるのである。『小菅の柱松-北信濃の柱松行事調査報告書』(2008年 飯山市教育委員会)によると上の柱が先に点火すると「天下泰平」、下の柱が先に点火すると「五穀豊穣」だという。したがって今年は下の柱が早かったので「五穀豊穣」ということになるのだろう。尾花に火が入ると、松神子をナカヤクを中継して柱松から下ろし、柱松の下で待っていた若衆が背負って走り出す。前掲書によると「カウネとナカウネの境にあるジョード」に向かって走り、ジョードにある松子石と呼ばれる石まで松神子を運ぶという。ようはこの松子石にどちらが先にたどり着くかを競う行事なのである。勝った方が大聖院に近い方の(高い方)を占めることになるという。柱松の上に上っていた若衆が下りると、ブドウヅルが切られて柱松は倒される。柱松そのものに火が入るのかと思いきや、尾花に入った火はすぐに消えてしまい、意外にも終わりはあっけらかんとしたもの。倒された柱松にある燃え残りの尾花や松榊、柱松のソダは虫除けになるといわれ、これを競い奪い合うと言うが、前回も触れたように、現在は尾花は神社に返すようにと言われている。

松太鼓

 

松神子

 

松神子を柱松の上へ

 

いよいよ火打ち

 

左側が「上」、右側が「下」の柱松

 

「下」の柱松の尾花に火が入る

 

「上」の柱松の尾花にも火が入る

 

松神子を下ろす

 

松神子をジョードへ

 

倒された柱松

 

続く


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