Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

節分に鰯

2007-02-04 10:25:54 | ひとから学ぶ
 「鬼の目を突く柊と鰯の煙で邪気を払う―節分いわし」という名前で売られていた鰯を、妻は買ってきた。実家は農家だから、節分と言えば〝いわし〟を食べるというのが当たり前と考えている。だから妻は買って来いといわれて買っていったのだ。ところが、あまりわが家では鰯を喜ばないので、妻は実家で「持っていけ」という鰯を「いらない」と言ってもめているのである。無理やり持たされた鰯は、わが家の食卓に並ぶわけだ。昨年も「節分」で触れたが、わたしの育った空間では、節分と言えば「かに・かや」だった。もちろん豆を撒いたのも子ども心に思い出すが、そこそこ歳を重ねてくると、「鬼は外、福は内」という掛け声をかけるのが恥ずかしくなるものだ。田舎だから、隣までは100メートルもあるから、誰がその声を聞くというものでもないのだが、なぜか恥ずかしかったことを思い出す。自分がそう思ったとおりに、わが息子もこのごろは声を出さない。「鬼が来るよ・・・、学校受からないよ」と母は声を出すように催促するのだ。

 さて、わたしの実家では鰯を神棚に進ぜるということをしたかどうかよく覚えていない。豆を撒く前に進ぜることはしていたが、どうも鰯は浮かんでこない。もしかしたら秋刀魚だったかもしれない。地域によってさまざまなはずなのだが、このごろは、みんな買って済ませるから、どんどん流通にあわせて儀礼は統一化してゆく。冒頭の鰯には、さらに「節分いわしの由来」という説明文が記述されている。節分の由来や鰯が節分に登場する由来が書かれている。「〝焼嗅がし〟と言われる臭気の強いものを焼いて邪気を追払ったり、鰯の頭を火にあぶって燃やしたところへ唾をはきかけつつ害虫の名を唱えて一年間の虫の活動を封じる呪法である〝虫の口焼〟やその鰯の頭を柊といっしょに串にさした物を魔除けとして戸窓に刺す風習があります」とある。この鰯の販売元は尾鷲物産という三重県尾鷲市の会社である。気の利いたことに、鬼の目を突くといわれる柊が、竹串に刺さったものが一本封入されている。まさに節分用に販売された〝鰯〟なのである。

 そこでそんな鰯を売っているんだと思い、昨日自宅への道すがらイーオンに寄ってみた。さすがに節分ということで、食品売り場の口元に「節分」コーナーが設けられている。落花生のほか、大豆や鰯、そして鬼の面まで並んでいる。今や大豆を炒って豆を投げる家は少ない。我が家もこのごろは落花生である。棚に並ぶ落花生も、中国産と千葉県産が同じくらいの数並んでいるが、倍と半分くらい値段が違うから、同じ数でも中国産の方が量は張っている。並んでいるとその違いがはっきりわかる。中国産はそろっていて美しい。そこにゆくと千葉県産は黒っぽいあざがたくさん着いていて見てくれは悪い。もちろんわが家は中国産なんか絶対買わない。が、棚に並んでいる様子を伺うと、売れ行きはどちらも同じくらいだろうか。まさか投げる豆は中国産、食べる豆は千葉県産、なんて分けてはいないと思うが、果たしてどうだろう。

 この日、もっとも賑わっていたのは、太巻きのコーナーだ。このごろ急にメジャーになった太巻き。大阪発の流行は、東京ではどうなんだろう。「大阪発」に抵抗がある人は買わないのだろうか。この日ばかりの太巻きコーナーは、品薄どころか販売用トレイの地肌が出ている。よく売れているのはネギトロ巻きやサラダ巻きだ。買うつもりなど全くないが、そんな様子をしばらく眺めていた。鰯も入り口のコーナーのほか、あちこちで売られていたが、冒頭のような説明書きのある〝節分いわし〟の姿はなかった。あちこちに鰯の売られている姿が見えたから、「節分に鰯」はかなり知られているようだが、売れ行きはとてもはかばかしくなかった。売る側は何を思ってこんなに並べたんだろう、なんて考えてしまうほどだった。

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