Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

話さない、伝えない

2010-03-21 22:44:30 | つぶやき
 仕事が忙しく感じられるのは「会計検査院」の検査が間もなくあるためだ。もちろん会計検査の多くは役所が補助金をもらって行っている事業に対しての検査であるから、役所特有のものといっても差し支えない。ところが役所の仕事を請け負っていると、会計検査が入るといったとたんにさかのぼって竣工したものの手直しやら見直しがつきまとう。契約上は納めたものであってもその内容に不備があれば実際に施工した、あるいは受託した業者の負担も出てくる。そもそも役所の検査なるものがあって相応の検査を受けているからには責任の所在は役所にあるのだが、不備があって役所から仕事がもらえなくなったり、あるいは評判を落としたりすると後々に影響するから、納めたものとはいえ、そして役所がOKをだしたものとはいえそこに関わらざるをえなくなるのである。役所はは事なかれ主義であるから、同じ税金で食べている仲間だからといっても、指摘されないように問題を見出されない処置をする。あるいは言い訳対策をする。こういうシステムはなかなか一般人には解らないこと。しかし、その対応にピリピリして会計検査が来るというと、毎晩残業をしてその対策に励むのが役所の通常の姿。役所の仕事を頂いている身では、それに向き合っていくのはいたしかたないものの、わたしたち役所ではない者にとっては、まったくの「余計」な仕事なのである。

 かつてはこうして対応のためにかかった時間は、無償提供のようなものであったが、今はかかった部分について日当を支払うようにというのが役所の指導のよう。とはいえ、表向きであって、現実的にはどうなのかというとなんとも表向きというところで我慢せざるをえないところもある。だからそのような対応に時間をかけることは極力避けたいのは本音である。

 別の出先からその対応のために2年ほど前に手伝った仕事の成果を「送れ」と連絡が入った。もともと手伝いで応援していた仕事であって、その都度成果についてはデータも含めて納めてきた。にもかかわらず今ごろになって当時のデータを「整理して」送れと言うのだ。納めたものをどう管理していたか知らないが、いつまでたっても手伝ったところに「神頼み」みたいに連絡してくるその出先には当時からうんざりしていた。「自分のことは自分でしよう」という気がまったくない出先で、まるで委託先のように社内の出先を使う。兼ねてより引継ぎとか、出先内での共有ということが最近できていないと指摘してきているのだが、それを示すような出来事である。昨年まで同じ出先で働いた同僚がその依頼してきた出先に異動しているため様子を聞いてみたら、こうだ。「HDDを探しても見つからないし、当時の異動した担当者に聞いても全く分からない状態となってしまったから、応援してもらった出先に送ってほしいと要請したようですが、そんな話を事務所でしていたら、非正規の女性が「当時送られてきたデータは全てここに入れてありますよ」って箱を見つけてきてくれました」という。この話のポイントは、解らないからもう一度送ってもらえ、という部分と非正規の女性が知っていたという部分だ。調べようとしていた者が解らないからと安易に出先に投げかけたものの、そもそも出先の中で「誰か解る人はいないか」と聞いていなかったわけだ。同じようなことは最近のわが社では多く見かけること。聞くのが恥だと思っているのかどうか知らないが、解らないことを「聞かない」、そして伝達しない。同じようなことを同じ空間にいても繰り返したり、別々にしたりする。無駄が多くなることは言うまでもない。

 無駄といえば同僚がこうも言う。その仕事を委託した役所では毎晩遅くまで残業して書類を今になってひっくり返しているという。この仕事にどういう報酬が払われているかしらないが、まさか「残業代をきっちりいただいているようなら、無駄な税金をその職員に払っているものだと思い、腹立たしい限り」と。税金で働く人たちの仕事ぶりは、実は納得いかない部分が一般人にはたくさんあるはず。会計検査院も何を検査するか早くに明確にするか、逆にいつ入るかなんてまったく連絡しないか、どちらかにして欲しいものだ。まったく役所の人たちの趣味の仕事のようにも見える。

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