この21日には長野県民俗の会第192回例会が開かれる。今回は信濃史学会9月例会との共同開催である。数年に1度、このような共同開催が企画されるが、こういうケースはどちらの例会担当も両会に関わっていると成立する。言ってみれば長野県民俗の会が主体的に企画するということになる。ということでふだんの例会と違うということもあって企画する側もふだん以上に気を使わざるを得ないというわけである。
先日の日曜日、そんな例会の準備の下打ち合わせで駒ヶ根市下平を訪れた。今回は同日行われる大御食神社獅子舞の見学が主たる目的である。「大御食」と書いて「おおみけ」と呼ぶ難読名称である。駒ヶ根市は合併前は「赤穂」と書いて赤穂町であった。同じ地名が兵庫県にあるが、そちらは「あこう」と呼ぶ。駒ヶ根の場合「赤穂」という地名があったわけではない。「赤州」と「上穂」の一字ずつとって「赤穂」としたいわゆる語呂合わせである。この赤穂の両者が対立的であるという話はよく聞いた話である。国道153号線を挟んで西側が上穂、東側が赤須である。上穂には五十鈴神社という神社が、そして赤須には大御食神社があっる。大雑把にはそんな印象で捉えていたことであるが、実は大御食神社の氏子エリアはとても広い。天竜川端の下平から、南部の福岡あたりは国道の西側までエリアとなる。これほど大きな氏子エリアを持つ神社はこのあたりには見かけない。そんな受益エリアを確認しようと地元の方に聞いていると、入り組んでいて結局図に描くことはできなかった。もっと言うといわゆる住所表記と氏子エリアが異なることも解りにくくしている。
大御食神社は現在5地区の持ち回りで年番を担っている。かつては下平が南北別れていたというから6地区だったようである。今年はこの下平が年番なのだが、打ち合わせをしようとして住宅地図を見ていて初めて知ったことは、下平地積が段丘上にも広く存在するということ。てっきり天竜川西岸の段丘下が下平と思っていたわたしには驚きであった。それこそ大御食神社の裏手近くまで下平なのである。かつては畑だったと言われる地には、今では住宅が立ち並ぶ。そうした住宅の住所は「下平」なのだが、実際の自治組織上は町部に属すところが多いという。もともとは農村部のみだった下平が、住所表記上新興住宅地を抱えるようになったということなのだ。そんなこともあってか、宅配便やさんが段丘下のいわゆる下平まで下ってきて「この家はどこでしょう」と聞くと、段丘上という例がけっこうあるというのだ。また、「最近下平の人が悪さをしてニュースになるなー」などということを言われるらしいが、たどると段丘上の人たちだったということが多いらしい。
そもそもそんな視点で図を見ていると、駒ヶ根市の住所表記はとてもわかりづらい。天竜川右岸は、町の中をのぞくとおおかた赤穂と下平だけなのだ。
さて天候が心配される例会日である。下平の前々回年番の際には雨だったというが、中止されることはなかったというが、雨の中の獅子舞は大変なこと。好天を祈るばかりだ。
「大御食神社獅子練り」へ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます