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向方のお潔め祭りへ⑤

2017-01-11 23:11:42 | 民俗学

向方のお潔め祭りへ④より

 「花のやうとめの舞」を見たところでわたしたちは夕食をとりに宿へ。したがって午後6時ころから8時までの2時間ほど祭りを中座した。再度天照大神社に戻ったのはちょうど午後8時ころのこと。場面は「湯ばやしの舞」の「つるぎの舞」が舞われるところ。「湯ばやしの舞」は四つ舞は4人による舞で、扇の手の舞・やちごの舞・つるぎの舞の三立てがあるのだが、すでにつるぎの舞が始まっていたのでこの日三立て行われたかは未確認である。赤い襷をかけ、左手に真剣の剣と白い紙を持ち、右手に鈴を持って舞う。今年は芸能部長と中学生二人、そして向方学園の先生が加わって舞われた。30分以上の長い舞だったが、これでも省略されているよう。この舞の途中から「向方のお潔め祭りへ③」で触れたように、舞堂の前に高齢の氏子総代さんがやってきて舞に溶け込まれていた。

 

 「一の方産土の湯立て」の「いちん舞」である。小禰宜が舞うとされていたもので、前にも述べたように現在は芸能部長さんが担われている。いわゆる「湯立て」を行う。

 

 続いて再び「湯ばやしの舞」となるが今度は三つ舞である。写真は「扇の手の舞」というもの。上衣を着て左手に開いた扇子を持ち、右手に鈴を持つ。本来は「扇の手」のあとに「やちごの舞」があるが、この日はこれを省略して「つるぎの舞」となった。

 

 その「つるぎの舞」である。黒い着物に黒い袴で赤い襷を掛ける。左手につるぎと白い紙を持ち、右手は鈴。

 

 今年はこのあと「古伝の舞」が舞われた。これは本来のオキヨメマツリに舞われたものといわれ、親から子に世代が代わる際に、家を継ぐ長男の宮人が一生涯に一度だけ舞ったものという。しかし、今は一度だけではなく、二度三度と舞っているよう。証拠にオキヨメマツリが再現された2014年と同じ方が務められた。そもそも舞には13種の舞があるようで、その内容も多様。したがってこの内容の舞を一生涯一度だけだとしたら、かなりの練習を積まないと舞えない舞だろう。二人の宮人が上衣に襷を掛けて舞う。写真は「ひしゃくの舞」と「矢とこせ」というもの。

 

 「火ぶせの舞」は湯釜の下のオキを上座の床にかき出して、そのオキの上で順の舞を激しく舞うもの。この舞は健康体で舞が上手く、ある程度若くて体力のある人が選ばれるという。舞手の橋爪さんは前段の「古伝の舞」も舞ったあとに引き続いて舞われた。現在のお潔め祭りでは中心的な舞手ということになるのだろう。

続く


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