Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

“しがらみ”の先に

2016-07-09 23:39:06 | ひとから学ぶ

 “しがらみ”のことはこれまでに何度か触れてきた。しがらみのないことを、ときに好意的に扱うことは多いが、しがらみはそう簡単にできあがるものではない。そして誰にでも少なからずあるはずなのだが、過去の時代にくらべれば明らかに薄くなっているのも確かだ。ひととひとの縁が薄くなれば、自ずとしがらみも薄くなる。そもそも「つきあい」はしがらみを作り上げていく。頼み頼まれ、お返ししていくことが礼儀というもの。そう思わせるのがひとの心だと思うのだが、新時代にはそれはなくなるのだろうか。とりわけ世話になっても「世話になった」と本当に思っているのかどうか疑わしい人たちがいる。公務員だ。なぜかといえばしがらみを作ることで公平性に欠ける可能性が高まるから。したがってしがらみを避けるほどに、公務員らしい人格を作り上げるのかもしれない。これを公務員の方たちが読んだら「違う」というかもしれないが、そう思わせる例は多い、と外からは思える。

 さて、最後のお願いを今日も電話でしてきた。先日も「電話の向こう」で記した通り、見ず知らずの方に電話をかけるのは厄介なもの。一度お願いの電話をした方に、最後のお願いとして抽出して電話をする。一度電話を掛けているから、今回は「誰それ」という感じで受け止められることはほとんどない。とはいえ、「しつこい」と思われる方もいるだろう。「度々のお電話で大変申し訳ありません」と口にすると、「その通り失礼だ」と言って切る方も。電話に対する反応はさまざまで、つらい言葉を吐かれた方もいて、その電話を受けた当事者はかなり凹んだことだろう。それでも実行することに意味があるとプロ達は言う。というよりもできる限りのことをする、後悔をしないための努力なのだ。それを誰も褒めてはくれないが、「何のためにやるのか」を自分の中で解釈すれば、その答えは容易に出る。ようは大義がある。その大義を理解せずに動けば、「自分がしなくても…」ということになってしまう。選挙ではよくある意識だ。証拠に自分もそういう意識で捉えていたことは何度もある。そもそも「何のためにやるのか」ここから始めにしっかりと共通認識を持たないと、組織も動かない。まさにそれを学んだこの2ヶ月ほどだっただろうか。もう次はないかもしれない、そんなこともよぎるなか、それでもこの学びは無駄にしない、という思いも積んだ。

 もちろんお世話になったことに対しては、“しがらみ”であろうと返していきたい。この思いは今までも十分にあったものだが、それが地域で生きていく術でもある。

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