Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

今夏の“草刈り”

2016-07-23 23:43:04 | つぶやき

ミソハギ

 

オミナエシと月見草

 

 今年は6月から7月にかけて、公私ともにちょっと忙しかった。そんなこともあって、草刈を怠ってしまったわけであるが、いつになく、あちこち草丈が伸びて“草ぼうぼう”である。足を踏み入れていない空間など、凹んでしまうから足が向かない。だから“徐々に”と思いながら目立つところから草刈を再開しているのだが、暑さとあいまって疲ればかり溜まる。こうした草刈がひととおり済まないと、ほかのことになかなか手がつかないということもあって、すべてが滞っている。猫の手よりはマシだと思っていた息子がまったくの期待はずれで、あてにならないどころか、家事では足を引っ張られる始末。年々ジャングル化している我が家回りなど、二の次どころかいくつ身体があっても足りないくらい、欄外に追いやられている。この週末も草刈三昧だが、高台にある大きな土手から、見下ろす水田地帯に、夕方になるとやってくる草刈をする人影を目にしては、「あんな程度の土手なら、草刈なんてすぐ終わる」と独り言を口にする。

 ひととおりと思っている草刈も、まだ道なかば。これまでこんなになるまで草丈を伸ばしたことがなかった、と思うほどどこの土手も草を刈ると大量の草が横たわる。とりあえず耕作を辞めている農地はそのままで良いにしても、法面や歩く道はそのままにしておくというわけにもいかない。近ごろは自走式の草刈機を利用する人たちがほとんどの上伊那エリアでは、刈った草を片付けない農家がほとんどだ。それだけ草丈が短いうちに刈っているということなんだろうが、わたしのやっている草刈とは世界が違う。ここまでは伸ばさなかったというような土手に、今までは見なかった花が姿を見せることも。日々刈り込んでいれば丈の長い植物が駆逐されるように、おそらく上伊那エリアの土手は植物が単一化していくことだろう。それが悪いというわけではない。芝化すれば土手は強くなる。そこにいくと、我が家の草刈は、以前にも触れたように障害物が多い。おそらく自走式草刈機を日々利用している人たちが、我が家の草刈後の光景を見たら、「なんだこりゃ」と思うに違いない。刈り終えた土手にいくつもの株、それも丈の長い株がポコポコと残っているのだから。とりわけ今は月見草がたくさん姿を残す。近ごろは知らず知らず輪を広げたフジバカマが、隣の家の水田の土手にも花を咲かせていたが、荒らしているのに頻繁に草刈をするので姿が消えた。我が家では、月見草に加えてフジバカマの株もあちこちに残っている。

 

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