知覧の街はずれに知覧麓(ふもと)と呼ばれる地域に武家屋敷がそのままの形で残っている。
約1.5km離れた知覧城が国指定史跡となり、ここの武家屋敷群は重要伝統的建造物群保存地域の指定を受けている。

左:武家屋敷の門の正面には、必ず塀が立ち塞がっている。
右:塀の裏側は前栽のようである。ここに「田の神(かん)さあ」の守護神が茶碗と杓文字を持って立っている。

奥の母屋に入る。軒先の白い点々に見えるのは、餅花である。

左:知覧型二つ屋と呼ばれるタイプに属する家屋で、「おとこ玄関」と「おんな玄関」と二つあるのが特徴である。今、皆が上がっているところが「おとこ玄関」だそうである。
右:座敷の縁側から見る庭園である。これも重要伝統的建造物の指定を受けている7つの庭園の一つである。

武家屋敷の通りは舗装もあって歩きやすい。生垣など手入れもよく景観美を作っている。

イヌマキの生垣に門柱がある。正面には更に2段になって石塀が遮っている。奥は見えない構造である。外敵の侵入を防ぐ為である。門柱の前には門松を立てた跡らしき盛り土がある。

長さ約1kmに亘って武家屋敷が続く。鹿児島藩主島津氏は、江戸中期に領地を113の地区に分け外城と呼び、それぞれ武家集落を作り分散統治を図った。
各家には今も住民が住んでいて公開していない。⑬で昼食だった。

両側が石垣の散策路と平行してバス道がある。道路沿いの溝に鯉が泳いでいたり、盆栽のような植木があったり、風情のある街路である。

鹿児島に戻り城山公園に上がる。正面桜島は裾だけが見える。緑の屋根は美術館である。
左:城山公園の土産物屋さん。何と旧紙幣がぶら下り、お釣はこのお札で払うと言う。万札もあったが・・。
右:鹿児島空港の玄関前に足湯があった。
約1.5km離れた知覧城が国指定史跡となり、ここの武家屋敷群は重要伝統的建造物群保存地域の指定を受けている。


左:武家屋敷の門の正面には、必ず塀が立ち塞がっている。
右:塀の裏側は前栽のようである。ここに「田の神(かん)さあ」の守護神が茶碗と杓文字を持って立っている。

奥の母屋に入る。軒先の白い点々に見えるのは、餅花である。


左:知覧型二つ屋と呼ばれるタイプに属する家屋で、「おとこ玄関」と「おんな玄関」と二つあるのが特徴である。今、皆が上がっているところが「おとこ玄関」だそうである。
右:座敷の縁側から見る庭園である。これも重要伝統的建造物の指定を受けている7つの庭園の一つである。

武家屋敷の通りは舗装もあって歩きやすい。生垣など手入れもよく景観美を作っている。

イヌマキの生垣に門柱がある。正面には更に2段になって石塀が遮っている。奥は見えない構造である。外敵の侵入を防ぐ為である。門柱の前には門松を立てた跡らしき盛り土がある。

長さ約1kmに亘って武家屋敷が続く。鹿児島藩主島津氏は、江戸中期に領地を113の地区に分け外城と呼び、それぞれ武家集落を作り分散統治を図った。
各家には今も住民が住んでいて公開していない。⑬で昼食だった。


両側が石垣の散策路と平行してバス道がある。道路沿いの溝に鯉が泳いでいたり、盆栽のような植木があったり、風情のある街路である。

鹿児島に戻り城山公園に上がる。正面桜島は裾だけが見える。緑の屋根は美術館である。


左:城山公園の土産物屋さん。何と旧紙幣がぶら下り、お釣はこのお札で払うと言う。万札もあったが・・。
右:鹿児島空港の玄関前に足湯があった。
知覧に、このような武家屋敷があったとは知りませんでした。
写真も綺麗に写してあり。
武家屋敷や「田の神さあ」など見所満載です。これから、寄らして戴き以前のものから読ませてもらいます。よろしく
三浦半島 基地の町の郊外からです。
ただ今の外気温9度です。
こういう風景って風情があってとても良いですね
早速のコメント有難うございます。
観光地ではなくても、そちらはこのように古い建物が街中にあるのでしょうね。羨ましいです。
下の特攻平和会館、胸が締め付けられる思いです。
戦時中、敵軍がほとんど来なかった北海道ではなかなか身近に感じられませんでした。
三浦半島といえば、千葉県が目と鼻の先ですね。
頼朝が三浦氏・千葉氏の世話になった船出の場所など残っていませんか。
そう言えば、頭上をジェット戦闘機が2機轟音を残して飛んでいたような気がします。
確認していませんが知覧には基地はなかったようですよ。
知覧の衝撃は多くの人に感じてほしい物の一つでしたね。
特に近年、集客の意味もあり、村おこしの意味もあり、町の特色が顕著になったようです。