昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

須磨海浜水族園

2006-08-05 | 自然界
西に向ってドライブと思って家を出たところ、渋滞に巻き込まれて須磨の海岸で頓挫した。そして何十年ぶりかで須磨の水族館を訪れた。


流氷の下で見られるクリオネは貝の仲間で・・。


戦前からあった須磨水族館が、水族園になり、今の名前がこうである。裏は海水浴場に面して、裏口ゲートを出ると源平の戦いのあった砂浜である。


オーム貝とタツノオトシゴですね。


ウツボは暗くすると外で泳ぎだす。


クラゲの仲間であるが、ネオンサインのように光っている。しかも七色の光は、身体全体を走り回る。綺麗だ!


虹色に輝く光がクラゲの身体を走り回るのは、エイリアンの宇宙船の世界。


この色鮮やかなオコゼが見えますか。


左:ラッコは上向き人生。ここのラッコは貝を割ってまで食べようとはしないと言う。
右:握手をしてから餌を貰うラッコがいた。



えいっとジャンプしたのは訓練中のイルカでした。

谷性寺(桔梗寺、光秀寺)

2006-08-01 | 歴史・文化遺産

この里山の樹林の中に、明智光秀の首塚のある谷性寺(こくしょうじ)がある。明智氏の家紋が桔梗である事から、里人たちが桔梗を植えて、観光資源にしたものである。

 明智光秀は信長の信望厚く、坂本城を琵琶湖西岸に築城し、さらに、丹波攻略を命じられ、天正7年(1579) 丹波亀山城を完成させた。明治2年に伊勢の亀山と混同するので、亀岡と地名が変った。
 天正10年(1582)の「敵は本能寺」の言葉を残す異変のあと、秀吉に敗れて山科の小栗栖(おぐるす)の竹薮の中で土民の竹槍で刺される。光秀を介錯した溝尾庄兵衛は、首を谷性寺に葬るように近臣に託したという。


平安時代の創建で真言宗大覚寺派に属し本尊は不動明王である。光秀の尊崇が厚かった。


本堂の玄関先にある門札。中央の蟇股(かえるまた)の中の桔梗紋は独特の彫物と言う。次の写真の旗にある桔梗紋の花弁に比べて、5枚の花弁が外に尖っている。


左:参道。右:首塚


境内の庭には桔梗が並んでいる。


 左:梵鐘の外周にある天女の絵。
 桔梗の花言葉は「愛」と言われ、光秀と貞淑な妻熈子(ひろこ)の遺徳を偲んで昭和48年に建立されたもので「愛の鐘」と言われている。
 中:庭の石燈籠の火袋(ひぶくろ)の部分の彫り物の絵が急須と湯呑みである。
 右:彫り物の絵が茶筅と茶杓、隣は棗である。茶人としての優雅さを求めた光秀を偲んでいる。


 桔梗は古には「おかととき」と呼ばれ、美濃源氏であった土岐(とき)氏の家紋である。明智氏はその流れを汲み桔梗の家紋である。
 また、明智が領主であった丹波では、善政を敷き領民の深い信頼を得ていた。それが主殺しの謀叛に走った動機として、この土地の言い伝えでは、織田信長の真言宗本山高野山攻めを阻止する為と言う。