昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

広田神社(下)

2006-01-31 | 歴史・文化遺産
 この広田神社の歴史は古く「日本書紀」や平安時代につくられた「延喜式(えんぎしき)」にも記載があります。
 「日本書紀」によれば神功(じんぐう)皇后が新羅遠征の帰路、船が此処の海上に差し掛かったときに、船が廻って進めなかった。
 そこで天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂(あらたま)を、この地に祀ったと言う。祭神は天照大神である。
 また、「延喜式」の記載を見ると、国の護りをする神々285座(名神大社)に選ばれている。これらは式内社と言われる。
 それで、風雨や地震などに霊験があると信じられ、当時の朝廷・公卿・貴族には官位昇進の神として崇敬されていたという。

 平安時代には歌合会が始まり、神仏を慰める為に神前で行われた。
 高倉帝の承安2年(1172)の「広田社歌合」の記録が残っている。このときの判者は藤原俊成で貴族58人の歌の競演があった。これは俊成の自筆本(国宝)として東京に残っている。

 建物は、高倉天皇の時に社殿を修理し、慶長9年(1604)豊臣秀頼によって大規模な改築、徳川吉宗の時に、山の上流にあって洪水の恐れがあるというので、現在地に鎮座した。
 現在の本殿は伊勢神宮から譲られたもので、昭和31年竣工したものである。見えているのは拝殿である。

 明治7年境内地を割譲して、南宮社と戎社を合体して西宮戎神社が独立している。

 なお、このあたり一帯は、日本書紀に「御心広田の国」と出てくる。また、中世の書物には「広田社、世俗西宮と号す」とか出てくるそうで、「西宮」は広田神社の別称であったとも言われている。
 
 祭神天照大神の御脇殿には、住吉大神・八幡大神・諏訪大神・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を祀り、広田五社と言われる。
 大阪の住吉大社、岩清水八幡宮、諏訪大社はすべて元官幣大社である。そして、高皇産霊神は天地開闢の時、高天原に出現した最も古い神様である。この9代あとになってから、やっとイザナギ・イザナミが生まれてくる。

 神社の裏山2万平米に散在するツツジの群落がある。
 植物学者「牧野富太郎」が、ツツジの花見に訪れる人を見て一句「ただ三つ葉千万人をおびきよせ」、そしてコバノミツバツツジはこれなりと言ったという。昭和44年県指定天然記念物になった。
左:コバノミツバツツジの狂い咲きを見つけた。
右:天照大神の鳥居の結界は石柱2本を注連縄で結ぶ。大神神社もそうだった。


広田神社(上)

2006-01-30 | 歴史・文化遺産
 兵庫県西宮に広田神社という元官幣大社のお宮がある。ここで例年、お正月に弓を引く行事がある。
この神社は、プロ野球阪神タイガースの選手が祈願する事でマスコミに登場する。宮司が神に祈念して気を入れた弓を授ける。

県での第一人者の格を持つ先生が引く。先の赤い鏑矢である。気持ちのよい音色を引いて飛んで行く。

的脇には矢を取る役目の人が居る。矢を形にはまった持ち方で抜いている。的はかなり大きめであって競技用ではない。

2番手に引くのは、三人が巴のように位置を回転しながら順に引いて行く。飛んで行く矢が見えるだろうか。

最後は四人が一列に並び順に引く。矢を右手に2本持っているのが見えるだろうか。
 今引いている、このメンバーは、午前中に広田神社の系列の西宮神社(えべっさん)で引いてきている。



季節の黄色花

2006-01-29 | 自然界
  毎日の厳寒の中で、健気にも咲く黄色の花たちを集めた。黄色は暖かく感じる色だと思うが、朱か赤がそうなのかも知れない
先週、神戸市内の相楽園に行く機会があった。元神戸市長の小寺健吉が父親から引き継いで完成させた「廻遊式林泉園」である。
 今年初めて蝋梅を見つけた。木枯しの吹きすさぶ時でも、見る者の気持を暖かくさせる。芳香が漂う。

花のつき方などは梅にも似るが、ロウバイ科というからバラ科の梅とは異なる。

平安の姫が宮中で十二単を纏っている様な風情がある。

何とこの澄み切った繊細な花びら。(昨年万博公園で)

ここまで集まると、賑やかなざわめきすら感じる。(大阪城公園で)


これは黄色のパンジーである。雪が降っても風が吹いても咲き続ける。

冬の花、石蕗の花が終って冬が去った証し、既に春である。

木曾谷で見つけた福寿草、元日草とも書く。青い花はイヌフグリである。

友人の作品「春を呼ぶ水仙」(市展より)


「黄葵(トロロアオイ)」は夏であるが、黄色であまり見かけないので、ここに取り上げた。
 京都東山の智積院の国宝の障壁画25面(長谷川等伯ら)の中に描かれている。収蔵庫の前で栽培されていたもの。

日本玩具博物館

2006-01-28 | 旅の風物
 個人で収集していた郷土玩具を1984年に博物館が完成したと言う。展示施設は6棟に別れ世界140カ国8万点余の資料があるという。
これはどう見ても博物館らしくない建物である。蔵の中に入るような感じで、既に楽しい。村の田んぼの中に建っている。

入口の暖簾が、招き猫とはね。

今年は戌年で、特別展示である。「狆のじゃれ姿」「睦み犬」

左:ブリキの金魚は風呂で遊んだ。右:からくり人形。

子供心に不思議でならなかった。

秋田の竿灯、右端には弘前のねぷたが見える。

大分の姫達磨、

ネパールの人形。

トルコの独楽とパン屋さん。
 そのうしろで、トルコ帽をかぶって口ひげを生やしている人物。白のスカートを広がせて踊っているのは、トルコのイスラム教徒の一分派で、布教を禁止されている踊る宗教である。ぐるぐる廻って、やがて陶酔の境地に入る。年に一日だけそのお祝いの日が残されている。

ドイツのくるみ割り人形。

マダガスカルのキリスト生誕の人形。かの地はキリスト教徒が多い。

展示の各棟に囲まれた中庭に蜜柑?がなっていた。

姫路が近い。玩具博物館の北の福崎に柳田國男の生家があって、彼の資料が多くある。その前の店に「もち麦」という特産の麦で、「うどんのようでうどんでない、蕎麦のようで蕎麦でない」がキャッチフレーズの麺を食べさせてくれる。


ミニ世界遺産(下)

2006-01-27 | 歴史・文化遺産
 世界中の石像の文化遺産を集めた数が七十点。なんとも楽しい公園だ。
緑の屋根を持つ双塔寺の裏山に、ツインタワー、宝塔が建つ。ミニ万里の長城を辿ると直ぐに着く。

左:この宝塔は中に鉄の梯子があって登る事も可能だ。足元をミニ万里の長城が通る。
右:これは映画でもおなじみの「大魔神」 日本の埴輪が天安門に向かって突っ立っていた。

未完成のミニ長城の終点付近には印度磨崖大仏がある。

山の麓に下りてくると、斜面を活用してお寺がある。これは実際に古代この地にあって廃棄されていた寺だという。「峰相山鶏足寺」という。斜面にほんとに500体ありそうなほど羅漢さんが勢ぞろい。千差万別で、これだけ見ていても日が暮れる。日暮門ならぬ日暮羅漢である。


 さて、数で言うと全部の7割が東洋以外のものである。あまり馴染みがないので、興味は半減する。
ピラミッドである。ミニ作りはやっぱりミニである。巨石のバランスがよくない。しかし、スフィンクスは完全だ。

ピラミッドの中に入る事が出来る。何もないがらんとした中に、ツタンカーメンが置いてある。どこかムードが違うのだが。この象形文字は、何と言うかそのーー象形文字に風格がない。王の名前も書いてないし。この像の姿は王のものである。

モアイもあった。象嵌の岩石の目が小さいような気がする。何処となく本物とは違う所がある。

これはオーストラリアで発見された女性の偶像である。


地図(赤い点は案内板)

ミニ世界遺産(上)

2006-01-26 | 歴史・文化遺産
 兵馬俑の兵士が野外を彷徨ううちに、天安門の前にやって来た。武装解除で手元に武器は持っていない。
 ミニの天安門だが、結構その気にさせてくれる。

天安門は外観だけだがなかなか美しい。

天安門の裏山には二基のミニ双塔寺の宝塔が建つ。

二つの塔の間は、下にあった煉瓦のアーチ門の入口から続くミニ万里の長城で繋がっている。

ミニ万里の長城は、今のところ約2kmまで出来ているが、更に全部で5kmくらいの長さにするという。山の尾根に沿って続いているところなどはよく出来ている。

外に出て来た兵馬俑

2006-01-25 | 歴史・文化遺産
 これらの兵馬俑が屋外に出てきたのは世界で此処だけであろう。

ミニ万里の長城で、三々五々に何を語らっているのであろうか。

赤い門の前で、整列して迎えてくれる。

何と赤い門は万里の長城の入口の門であった。

更に進むと、煉瓦のアーチの門がある。

兵馬俑

2006-01-24 | 歴史・文化遺産
 中国、秦の始皇帝は紀元前250年頃から210年頃までの在位であった。
 秦の第一世皇帝である。中国で初めて国家を統一し、法治国家を築き、全国を郡県に分けて統治した。
 北の異民族、匈奴(きょうど)を北方に追いやり、再度の侵入を防ぐ為に万里の長城を一層強大なものにした。
 焚書坑儒で過去の書籍を灰燼にするなどエピソードは多い。

 平原の一際小高い丘に向かって、石像が数kmも一直線に並ぶ。
 これが始皇帝の墳墓との話のある中で1975年、発掘調査によって周辺から、等身大の兵士、軍馬など多数発掘された。始皇帝の権力の絶大さを表現している。今も新しい発掘が続いている。

本物はこれの10倍以上はあるのではないかと思う。士卒は漢民族をはじめ、南方民族や天竺の民族やシルクロードの民族など、当時の世界中の人々が並んでいると言う。

すべて同じものが一つもない。それは、現実の部下の兵をモデルにしたからという。

軍師の乗る4頭立て馬車まで精巧に出来ている。

その表情の一つひとつが異なる。一人は笑っているのかなあ。

左:端の列に並んでいるのは外を向いて立っている。2列目は、将棋倒しに倒れてしまって破損している。リアルである。
右:ここでは屋外にまで兵馬俑(へいばよう)が並んでいる。

 

天智天皇御陵(from album)

2006-01-23 | 歴史・文化遺産
 大化の改新の時、藤原鎌足と力をあわせて、蘇我氏本流を滅ぼした中大江皇子(なかのおおえのみこ)は天智天皇となり、近江朝を開く。
 やがて時代が移り、心の支えであった藤原鎌足がこの世を去ると、数年後には後を追う。
 そして、近江朝に近く、亡き鎌足の住まいも近くであった、ここ京都の東方、山科に葬られた。天智の望みでもあったろうか。

若き鎌足が、中臣(なかとみの)鎌子と呼ばれていた時代であった。宮中の蹴鞠の時に中大兄皇子の靴が脱げて飛んでいった。これを拾って手渡したのが鎌足であったと言う。
 鎌足は、皇太子の中大兄皇子に近付いて中臣の家の隆盛を見る野心があったかも知れない。
 中大兄皇子は天皇をないがしろにする蘇我氏から実権を取り返したかったかも知れない。

中大兄皇子は天智天皇となった後も、この鎌足をブレーンとして重用する。

この二人は、見事なチームワークで政局を乗り切ってきた。

皇室でない鎌足に、初の内大臣の位を与えるまでになった。

 しかし、やがては別れる時がきた。鎌足が病に臥せってしまう。
 天皇は彼に見舞いの使者を遣わし、鎌足に「大織冠」の名を与え、後の世まで大臣を輩出する家である事を約束する。

左:御陵の入口にある日時計は、12時30分を示している。
 天智天皇といえば、時計を発明した事で有名である。すでに皇太子の頃から作っていたと言う。明日香には水落遺跡も見つかっている。

 (良い水時計が見たいなら、滋賀県近江神宮に行けば、多くの種類の時計と共に見ることができる)

 当時、時計は以前からあったらしい。彼がこの時計を使って、時刻を鉦や太鼓で合図をして知らせた事の始まりと言う。

右:三条発、浜大津行きの京阪電車が路面を走っている時に、停留所の前にあって、そのまま残る道標。

御陵の裏山に上がると、そこには琵琶湖疏水が流れている。水流の音がしない、静かに滔々と流れている。トンネルを通って、蹴上を経て、南禅寺のレンガ造りの橋に繋がっている。

さらばマダガスカル29

2006-01-22 | 海外旅行
 思い出をいっぱいくれたマダガスカルも、「昆布が美味い」blogから暫くお別れです。
 延べ約30日間、当blogに根気よくお付き合いしていただいた事にお礼を申し上げます。
 見落としていた写真をひつこくアップします。

トラックの土煙の中から、子どもが走り抜けてきた。

ホテルの夕食の前菜。

メインディッシュ。食べきれない、1尾で充分だった。

左:食後のフルーツにはマンゴーがついてくる。
右:テーブルの上にあった焼物の電気スタンド。バオバブの透し穴から明りが漏れる。

現地の紙幣。単位はアリアリ。舌を噛みそうな単位であるが、慣れると言い易くなる。
1000アリアリは約60円、日本までの絵葉書の切手代が1200アリアリ(約70円)で6000マダガスカルフラン。(2つの通貨がある)
 それぞれの絵が面白い。インドリの猿、裏は「ウチワサボテン」とリュウゼツランの仲間で繊維をとる「サイザル」
 500アリアリ紙幣にはコブウシ、200アリアリは祭祀で使うトーテムポール。

ヒルトンホテルの朝食はルームサービスで。

さらばマダガスカル。
 マダガスカル航空は尾翼が赤く、タビビトノキのデザインである。赤色はこの国の土の色なんだ。