昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

ゴーギャン絵(タヒチ2)

2006-06-30 | 海外旅行

ゴーギャンの絵画といえば、こののどかな、伸び伸びとした娘2人の絵が、よく紹介されています。
二人の膝元には、タヒチの国花であるティアレタヒチの白い花が一輪落ちている。くちなしの仲間で花弁の8枚のものを見つけると幸運が来ると言われる。
 左の女性の耳に見えるが、未婚か既婚かで、左右の耳に指す習慣という。

 ゴーギャンが日曜画家から画壇に登場したころ、欧州の画風がクライマックスに達していました。これに飽き足らない画家が生まれてきました。ゴーギャンもゴッホもその一人といえましょう。
 そんな時、フランスに入ってきた日本の浮世絵を見て、彼らは感動し、浮世絵の画風を学び取ろうとした事があります。


フランスに流出した多くの浮世絵の内の一つと思うが、梅の絵(左)が、ほぼ完全に模写されている。


清長画の絵の情景が、その構図などが模倣されている。


広重の絵である。これも構図の模倣でしょう。
 しかし、谷間の水面に浮かぶ三日月、はるか高くに架かる橋の嫋々さなどは理解の外であったのか、表現の中味は及ぶべくもない。


KUNIYOSHIという名が見える。これら2点は、発想の原点は浮世絵であると並べて展示されていた。KUNIYOSHIは明治初期の画家、国吉氏のことか。


ゴーギャンらしい長閑さと、落ち着きを見る。遠近法が巧みに使われている。

 
「タ・マテテ」現地語で「市場」と言う。大変有名な絵であるが、時々、右端に立っている女が削られている事が多いという。
 バランスが崩れるような、少し変った姿で描かれている。これは男だというのが定説だそうな。おかまだという。


この大きな作品は、タヒチのハートがあるようである。
 急峻な火山島を背景に椰子の木が散在し、ポリネシアンの髪の黒い女性が、耳にティアラ・タヒチの香りのいい花を耳に指して寛いでいる。
 左の掌には、尾の青い鳥が留まって前を向いている。横のテーブルには熟れたマンゴーも緑のパパイヤも転がっている。
南国の静かなときが流れます。
 
 
数々のゴーギャンの作品が世界に散在しており、その中で日本に来ているものの一覧表があった。この展示が出来た時点で10点のようである。
 それぞれの所蔵されている場所がラベルに書いて貼ってある。
 左端の一列目上が東京国立美術館所蔵、その下は、倉敷大原美術館所蔵。
 二列目上は表示がなく、中は、東京国立美術館所蔵。下は、東京ブリジストン美術館所蔵。
 三列目上が東京国立美術館所蔵、中と下の2点は東京ブリジストン美術館所蔵。
 右端の一列は、上が大阪FUJIKAWAギャラリー所蔵、下は東京ブリジストン美術館所蔵。

ゴーギャン(タヒチ1)

2006-06-24 | 海外旅行
さて、イースター島のモアイ像と出会うためには、途中でタヒチで一泊をする。
 タヒチは南国の楽園というので、フランスの画家ゴーギャンが生涯を全うしたところである。


「われわれは何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」
ゴーギャンは晩年のこの作品の絵画に没頭し、この謎の言葉を残してたという。

 右下に赤ちゃんがいる。それを見護る親がいる。やがて赤ん坊は成人して、結婚し、木の実(おそらくマンゴー)を採って幸せに暮していく。
 ここでは仏像のような光背を持つ像が立っており、はるかなバックの火山島はタヒチの近くにあるモーレア島かもしれない。
 そして、左下には既に生気のなくなった骸骨に、女性が寄り添っている。
 彼はこの絵の左上の三角形の空間に「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」と書き記している。


ポール・ゴーギャンの博物館があった。広い中庭は緑で一杯、ゴーギャンの作品と言う石像も立っている。正面には背の高い椰子の木と並んで、扇を広げたようなタビビトノキがある。幹を傷つけるとそこから水が溢れ出してくる。


 ポール・ゴーギャンは、フランスの二月革命で、南米のペルーに移住した。けれども、彼が一歳の時に、父は亡くなり、母とフランスに戻った。そこで、神学校にも通い、17歳で航海士の資格をとって、世界を訪れている。

 1880年、日曜画家として作品展などには出した記録がある。その3年後から画業に専念した。
 1888年ゴッホとの出会いがあり、共同生活を始めた。しかし、個性の強い二人はうまく行くはずがなく、ゴッホの自ら耳を切り落とす事もあり、別れる。

 1891年にタヒチを訪れたが、貧しさに堪えられずにフランスに帰っている。しかし、女性にも次々と去られてしまって、1895年にタヒチに戻り、2年後彼の遺書の形で、「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」
 の大作を描いた。
左:ゴーギャン。右:ゴッホ 


記念館の建物の入口にある彫刻、ゴーギャンの手になる木彫である。


 左:ゴーギャンの住んでいた家。右:室内はすべてがアトリエである。


左:彼の作品石像。中:木彫。右:石像、この辺りになると東方4000kmの彼方にあるモアイ像に似てくる。



街の中(モアイ12end)

2006-06-13 | 海外旅行
 3泊3日のイースター島滞在があっという間に経った。最後の日はフリータイムである。街中散策である。


左:パパイヤ・右:アボガド



 街のメインストリートは突き当たりにカソリック教会がある。日曜日のミサに参列したが、立ったり坐ったり、賛美歌を歌ったり、神父さんの語りについて言葉を口にしたりと忙しかった。教会が一杯で入りきれないほどの人たちは、敬虔な信者で溢れた。



市場があった。
左:ここは井戸端会議の最中であった。世界中何処も共通のようだ。
右:野菜がいろいろ、スイカ、人参、バナナ、トマト、ズッキーニ、芋などなど、時間帯によるのか、商品が少ない。空輸されるのが殆どと言う。



左:犬と遊ぶ子ども。右:やや派手な個人の家、軒下の壁に書いた絵が面白い。



左:11月の1日と7日に何かある宣伝用のポスターが貼ってあった。全身刺青の親子が描かれている。
右:Tシャツの胸の図柄に、モアイの運搬のモデルが描かれている。プカオを頭に乗せる方法まで書いてある。



島は小さくても南太平洋は広い、南極からやってきた波が岩礁で砕ける。寿命が延びる。



大海原を見ながら溶岩台地を、馬上から眺める。
こんなに自由に数kmを乗り回すのは初めてである。何十年ぶりかの馬の背に跨る。



馬から落ちて、岩場で頭を打つと痛いだろうなあ。
右:インストラクターが一人一人に、山の果実を配っている。旨い。

ケリケリダンスショウ(モアイ11)

2006-06-11 | 海外旅行

 イースター島博物館があった。館内撮影禁止なので、玄関ロビー展示室の写真である。
誰が描いたかイースター島の人たちを紹介する絵画で、実物はこの2倍くらいの分量が描いてある。一部ラミネート板に光が反射している。
 モアイ像を切り出し運んでいる。小判型に並べた石の輪の上に草屋根がある。


 博物館の玄関ロビーの展示物から。刺青文化であり、左は島の王様を決める鳥人の姿である。鳥の羽を頭に挿して、鮫の口の骨を被って強さを表現する。勿論刺青も強さを表す。


 ホテルのロビーに貼ってあったツアーのポスターである。
左:モデルは子どもだが、王子と王女が船に乗っている。島内巡りのツアーである。
右:これも鳥人の姿の王様である。ショウのダンスチームの公演の紹介である。


 ショウをケリケリショウと言うらしい。現地の民族衣装を着て(と言ってもそんなに着ていないが)激しく踊る。左の女性の腰・臍などに刺青が見られる。右の女性の左足にも見られる。


ダンスは激しくなって、汗が飛んでくるほどになる。
右:この子だけピンクをつけて、団員からも異常に人気がある。もしかして男の子ではないかと思う。


暫く休憩していましたが、必要最小限はアップしようと思います。少し不定期に、間隔が開くかも知れません。ご心配をおかけしたようでごめんなさい。またよろしく。
 イースター島とタヒチは、気残りなので、あと数回続けます。