昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

平清盛(1)

2012-01-31 | 歴史・文化遺産
 今年のTVの大河ドラマは「平清盛」であった。ちょうどこの時期に、兵庫の港を背景にした、神戸市の中央市場の建て替え計画が完了した。
 明治から使われてきた伝統ある中央市場が、古くなって隣の地に移転した。古い中央市場の跡地に広大な更地が出現した。そこで、平清盛が構築した港(大輪田港)でイベントが予定されていたものである。

 それに合わせて、TVのドラマであった。画面が大変に埃っぽい感じがするとか、いろいろと取りざたされているが、若き頃の平太の暴れん棒ぶりが表現されている。

現在の神戸市内は、源平の合戦の史跡が至る所にある。今回はイベント館の一つ「歴史館」を訪ねました。




恒久施設ではないが、源平合戦を中心に、展示がきめ細かい資料が集められていた。




以下の2枚のポスターは、地下鉄の中に貼られていたものである。





最寄りの地下鉄の駅「中央市場前」構内の案内ポスターである。




港湾施設が清盛の時代から発達して、ポスターの中央には運河が描かれている。




イベント会場の間の広場には、大きな揚羽蝶の紋が画かれ、周囲を船型の木造ベンチが取り巻いている。




幟旗がずらっと並ぶ。図柄は、一の谷の合戦の図柄の一枚を縦長に切って、幟旗をデザインしている。



一枚目は須磨の海岸での合戦。二枚目は生田の合戦、三枚目は一の谷の坂落としで、その右から2番目に、黄金色の兜をつけた義経がいます。しかし、こんなにバラバラになっていると見えにくいですね。後ほど完成したものをアップします。



平氏の由緒がまとめられていました。

この年表の前があり、794年に桓武天皇は平安京に遷都したことがあります。

そして桓武平氏は、桓武の曾孫の高望王が平家の祖になる。




西暦889年がそのはじめでしょう。




やがて、源平の争いが生まれてきます。




伊勢の平氏が台頭してきます。



平家の時代が来ます。



春はそこまで(公園)

2012-01-30 | 自然界
 巨木になるユリノキは落葉の後、堅い萼が残って、中の羽根の付いた種子をばらまく。落ちた種子からは1000に1も次の世代は出てこない。
 それでも、大事にして拾って来て20粒ほど家の土に混ぜて置いたら、1本が現在3年目で50cm位に延びている




ハクモクレンの冬芽は毛皮のマントを着ている。




これはエゴノキの実が落ちた姿。萼だけが残っていた。




♪カラタチの棘は痛いよ♪ 真冬に頑張るカラタチの実が一つ残っている。ユズも残っているよ。
 





公園の周囲の一部を受け持つサザンカは、葉が霜でやられて変色しながらでも、霜焼けになっても、可憐な花を付ける。





マユミがいい色になって、冬に彩りを添える。






少年野球の部員が、芝生の上でトレーニングしている。このクラブは、かつてはあのマー君や坂本君が所属したクラブである。近年は部員が増加傾向。





スズメが枝に鈴なりだ。




ピラカンサの赤と黄。




イカ(凧)つりをしている。てぐすを凧糸に使っているので、糸は見えませんね。上空の凧は見えるでしょうか。
 



一昨年の盆梅の梅が今年も花が咲きそう。



サクラソウは、早くも蕾が見えてきた。


春遠からじ

2012-01-29 | 自然界

全体の色調が、枯れた冬の色ばかりの時、どこかに春の色はないかと探索します。そして色彩が派手な季節的にはもう終わってしまったハボタンが、まだ元気な色を出していた。
「もう枯れてもいいよ」と言いながら、毎日見ていると、元気を取り戻したようです。






行儀よく並んだハボタン。




こちらは、それぞれ単独でよい色を出します。食べてしまいそう。




公園の四季桜が満開です。寒さの中で、健気に咲く桜も、さすがにここ数日の寒冷で枯死しかけたものもある。




青空にサクラの花は映えますね。





この満開は、伊豆のカイヅサクラよりも早いか。




水仙の雄蕊は三本なんだ。




室内であれば馥郁とした香りが広がっていく。



ツワブキの花が力強く咲く。


世界の凧(八日市市)

2012-01-28 | 旅の風物
ここには、ごく一部だが、世界各地の凧も収集している。また立体の凧とか、実物の模型のような凧もある。
連凧も立体形の凧もある。




このインドネシアの凧は、あまりにも生々しい大凧ですね。あちらには洞窟にオオコウモリがいると聞きましたが…。





これは巨大なカブトムシです。ブラジルはアマゾンにいるそうです。学名まであるから本当だと思うが、実物大の凧です。






八日市の大凧の年表です。この町での凧の歴史年表である。その名前にも時代の流れが表れている。






判じ物の凧が、面白いです。どんなダジャレになるのでしょうか。






時代の思潮の表現の作品が年に1つは生まれる。ここは文化財となって後世に伝える記念館でもある。





特に地元自治体の支援を得て、村興しになる以前から盛んな八日町の郷土愛でもありましょう。






判じ物の凧二つ、名前と絵柄を結び付けてください。

黄色の巳さんと祇園祭の山車。                 ドリュームズ=龍(複数形)。

昔の凧(八日市市)

2012-01-27 | 旅の風物
 最近見なくなった凧上げは、もっぱらゲイラカイトなどに置き換わっているようですね。凧の絵にも時代を感じさせるものであったが、アンティークというのでしょうか、凧にもロマンがありましたね。

全国の凧を集めたのでしょうか。

子どもたちの未来に希望を持たせるようなロマンですね。強い人になれと願う気持ちが義経であり、頼光であり、弁慶である。

この凧は「津軽凧」と表記されているが、羅生門で活躍した源頼光であったか。



津軽凧と表示されている。東北で名をはせた八幡太郎義家が東北の豪族の阿倍氏を滅ぼしたのを表現して居る。




これは源平時代の女傑、木曽義仲の妻・巴御前とある。彼女は義仲亡き後、和田義盛の妻になったとも言われている。





一番の人気は、源義経ですね。壇ノ浦で、平家の教経に追われて、船から船に逃げ回った「八艘飛びの義経」ですね。



「江戸凧」とあるが、猿回しのサルの服装をしている。烏帽子を置いて神楽の鈴を持って、「あーらめでたやな」である。



凧のデザインが、青森や弘前などのねぶた・ねぷたなどでも伝統として残っている。縁起物になっている。
左:達磨。右:芝居の大入り袋(今でも相撲の世界に残っている)
 




甲州凧は川中島の一騎打ち、上杉謙信と武田信玄。




源九郎義経




義経と弁慶。浅間山のふもとで育った大関「雷電」も勇者として登場します。右上は、加藤清正虎退治。




一の谷の合戦。逆落としの場。




鳥取倉吉ですから、山陰地方の豪傑、岩見重太郎のヒヒ退治でしょうか。




この義経の八艘飛びは、バランスも良いし美しいですね。


大凧会館(八日市)

2012-01-26 | 旅の風物
 近江路を走ると、通りなれた街道筋ではないが、八日市(ようかいち)市がある。近江商人の出た本場の村里である。今は立派な「市」になっているが、東の峠を越えると、名古屋地方の桑名市に出る街道である。


大凧を揚げて祝う風習が残っている。その資料博物館が大凧会館である。




3階部分まで吹き抜けの凧がある。




足元には、「彦にゃん」がいる彦根城の凧である。




トビウオが集まるデザインである。これらの凧にはすべて名前が付けられている。語呂合わせのこじつけであるが、スローガンであったり、お祝いであったり。このトビウオには貴方ならどんな名前にしますか。




この地方の大凧には歴史があり、現在も綿々と続いています。




たとえば、これは「町中が心ひとつで理想郷」と言う。この「判じ絵」が判るのが、昔の教養だったかも…。

中央の六角形が八日市市の市章である。下の赤い字が心である。理想郷=鯉・双・郷という訳です。鯉が2尾=鯉双です。





大凧の引綱があった。大きなものである。





これは昭和10年代の記録であろうか。(八日市町役場主催の…。名称「鴻天満」。満州の天地に飛という意味なり)
 天地とは満の字赤き故(満州)を飛ぶという。鯉が飛んで居る故 飛ぶと云う。

意味不明の所もありますが、当時、日本は満州が理想の天地だと言われ、出かけて行った時代でした。




十二支の干支で、ネズミ・翌年が虎の凧です。




さまざまな凧が展示されている。他に世界中の凧とか、昔の凧など、展示品は豊富である。


厄神さん

2012-01-25 | 歴史・文化遺産
 これまで数十年間、厄年であろうとなかろうと、正月にはお参りしてきた厄神さんがある。そしてやや小型のカレンダーを貰ってくる。その挿絵がいい感じである。ほのぼのとして要所をついているような気さえする。

今年は少し宗教色が出ている気もする挿絵である。



花で装う観音様か。





生を受けたこの世のすべての人が、生物として地球上に呼吸している空気はいつまでも美味しくあってほしい。




笑顔というのは、人だけかもしれない。





雲の上で見守っていてくれるのは、もう一人の自分のような人かも…




皆んなの幸せは一人の幸せ。一人の悲しみは皆んなの悲しみ。





良くても悪くても、何か人知に尽くせないものがあるかも知れませんね。大いに仏の掌の中で人生を楽しみましょう。孫悟空になるかも…。


阪神間では、少しは名の知れた厄神さんです。


ハクチョウの塒(長浜市)

2012-01-24 | 動植物
長浜市の湖岸、「水鳥ステーション」はそのまま道の駅である。地元のとれとれ野菜などで、賑わっている。屋根は鳥の顔をしている。




目前の湖岸が、水鳥の塒になっている。水面に浮かぶ小島の上に、集まっている。




こちらにも、離れたところにも、あちらこちらに群が浮かんでいる。



親とまだ離れない雛は、昨年の春の誕生だろうか。




カモが逆立ちしている。




突然に羽ばたくハクチョウは、気分転換だろうか。




今度はカモが羽ばたく。カモにしては大きいので、オオヒシクイかも知れない。





ハクチョウが、塒に帰って来る時間帯になったか。しかし、なかなかカメラに収まらないですね。




着水して、何もしないでも、水に浮かぶことが出来るというのは良いですね。




次に今度は、ハクチョウの集団が帰ってきた。少し旋回して、着水点を探していたが、さっと舞い降りた。




黒い足をいっぱいに広げて、ブレーキをかけている。




そして着水した。




地図の現在地は左の方ですが、撮影は右方のコハクチョウと書いてある湖面でした。




 湖岸の道路を南へ下り帰途についていると、米原の辺り、道路のすぐそばで、ハクチョウが多数見られた。しかし、駐車する場所を見つけて降り立った時、すでに皆さんは沖の方へと遠くへ離れていきました。
 車が走っているときは反応がないのに、歩く人影を見ると静かに離れて行ってしまう。よく知っているのだ。




道路の左を見れば奥伊吹の山々が真っ白になっている。




湖北の西の空に太陽が沈む。遠くの中央にある島の更に彼方に、かろうじて見える先のとがった山が比叡山である。
今日の琵琶湖は穏やかないい天気でした。


湖北のハクチョウ

2012-01-23 | 動植物
「寒」の入りと言うのに、今朝は空はどんより薄曇り、柔らかな日差しが照る朝でした。ハクチョウを見に行こう。北の琵琶湖にはコハクチョウが来ている筈だと出かける。
 北陸道、賤が岳の手前、木之本ICから少し南へ下がった所の湖面に、水鳥が来ることはよく知られている。

鳥に人の姿を見せると遠くに去っていくので、遮蔽板のような位置に板が設けられたか…。




湖岸の砂利の中に、丸い穴のある板が立てられている。ここから琵琶湖に浮かぶ水鳥を観察するとでも言うのだろう。






この三羽はファミリーですね。大きいのが子ですね。






岸辺に人影があると、彼らは波に揺られながら遠ざかっていきます。






皆さん遠くへ遠ざかる。頭を羽根の中に埋めて眠っているのは、未だ熟睡中。






一度カップルが出来ると、その絆を一生持続させる。親子三羽が漂っています。子はやや黒いです。






こちらの群れは、かなり寛いでいます。






案内板に鳥の説明がある。





更に車を走らせて5分、「みずどりステーション」が、道の駅の隣にできている。面白いモニュメントが建っている。


神戸北野界隈

2012-01-22 | 旅の風物
 昨年の秋、神戸北野坂を歩いていると、眼が廻わりそうなイラストイリュージョンがあった。

このけばけばしさに、二の足を踏んだが、時間が立つほどに、これは面白い。と思うようになってきた。かなりの苦労が、よーく見れば、楽しさで苦にならないというのが出ている気もして来た。
 何を書こうとしたのかはどうでもいいと思うが、何かがここに書いてあるという認識で見ると、結構退屈しのぎになる。現代芸術かも。
これは横に3連で繋がっています。









街の広場で、サキソホンを吹く男がいる。ここでは、耳を傾ける猫はおりません。



こちらは、楽器から口を離してしまった。



そうか、彼はコルネットが吹きたかったのか。




街中を人が徘徊し、急な坂など気にならない。まるでスイスの街路のような、石畳です。





この四頭立ての戦車ですね。映画ベンハーでは競走しましたね。家の表門の中央にでーんと置いてある。




蔦に取り込まれたこの家は、夏は涼しいかも…。




遠く大阪湾を望めば、、対岸には堺市や岸和田市などの建物が見える。手前の神戸港も、倉庫群が並ぶ背後からクレーンが林立している。阪神大震災で打撃を受けながらも、かなり復活してきました。